東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「エーゲ海の旅(ギリシャ)」

13. ロードスの考古学博物館

ロードスにある考古学博物館

ロードス島の北端にあるロードスの街のマンドラキ港城壁を見て、街の中に入った。かつて軍港として使われていたマンドラキ港も、オスマン・トルコ軍の侵攻に対する守りの要だった城壁も、西暦1308年に島を制圧した聖ヨハネ騎士団ゆかりのものだよね。

ロードスの街の考古学博物館の正面(ギリシャ)

そして上の画像にあるロードスの考古学博物館、この建物も聖ヨハネ騎士団ゆかりのものなんだ。

聖ヨハネ騎士団の病院だった考古学博物館

この島に本拠を置いていた頃にはロードス騎士団と呼ばれ、マルタ島を与えられた後にはマルタ騎士団とも呼ばれた聖ヨハネ騎士団なんだけど、ホスピタル騎士団とも呼ばれている。というのも、その起源は11世紀初頭にエルサレムに設立された巡礼の為の病院だったからなんだ。

ロードスの街の考古学博物館の内部(ギリシャ)

そんな聖ヨハネ騎士団は、このロードスにおいても病院を設立・運営している。その建物(完成は西暦1484年)が、この考古学博物館だった。上の画像は考古学博物館の内部の様子なんだけど、かつてはここに入院患者たちのベッドが並んでいたんだろうね。

後にマルタ島に本拠を置いた聖ヨハネ騎士団なんだけど、エジプト遠征に向かうナポレオンによってマルタ島を奪われ、西暦1834年にはローマに本部を置いている。そんな聖ヨハネ騎士団なんだけど、現在でも病院経営を含む医療活動を行っているんだそうな。

ロードスのアフロディテあるいはヴィーナス

聖ヨハネ騎士団の話ばかりが続いてしまったんだけど、このロードスの考古学博物館の目玉とも言うべき展示品が下の画像かな。

ロードスの街の考古学博物館で見たロードスのアフロディテあるいはヴィーナス(ギリシャ)

ロードスのアフロディテあるいはヴィーナスと呼ばれるこの彫刻は、紀元前2世紀頃のものとされている。その頃のロードス島は数多くの彫刻の傑作を生み出したとも言われているんだ。例えば、サモトラケのニケやラオコーンもこの島で制作されたものとの説もあるみたい。

ところが、多くの傑作のオリジナルは持ち去られてしまっている。サモトラケのニケはフランスの首都パリルーブル美術館にあり、ラオコーンはイタリアの首都ローマヴァティカン美術館にある。このロードスのアフロディテは島に残る貴重なオリジナルというわけだ。

ビザンティン帝国時代のモザイク

アレクサンダー大王の死後、ロードス島はエジプトのプトレマイオス朝の支援下にあった。が、やがて古代ローマ帝国の同盟国となり、その後は帝国領となったらしい。ちなみに、古代ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの娘ユリアと結婚しながらも夫婦仲が悪かったティベリウスは、この島に隠棲していたそうな。

そんなティベリウスなんだけど、やがてローマに呼び戻され、第2代皇帝となっている。ところが、後にはカプリ島に移り住んでいる。元々、都会が苦手だったのかもしれないね。

ロードスの街の考古学博物館で見たビザンティン帝国時代のモザイク(ギリシャ)

話が大きく横道に逸れてしまったんだけど、ローマ帝国領となったロードス島は、帝国の分裂後には東ローマ帝国に帰属することとなった。上の画像は東ローマ帝国(ビザンティン帝国)が島に残したモザイクなんだそうな。ロードスの考古学博物館で見たもの。


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