東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
ブダペストの春(ハンガリー)
1996 年 5 月
[ ハンガリー略年表 -1.]
ハンガリー王国の成立 ( - 10c)
- 紀元前50年頃、現在のハンガリーの地にケルト人が定住した。ケルト人はオー・ブダの地を「アク・インク」(豊かな水)と呼んだ。
- 1世紀頃、イタリアのローマから進出してきた古代ローマ人がオー・ブダの地に駐屯地を置き、やがてアクィンクムの街が築かれた。
- 5世紀、フン族がハンガリーを占領した。
- 453年、アッティラの死に伴ない、フン族の帝国が分裂した。
- 7世紀、テュルク系の遊牧民アヴァール人がハンガリーを占領した。
- 790年、フランク王国のシャルルマーニュ(カール大帝)がアヴァールに対して遠征軍を派遣した。
- 796年、シャルルマーニュの子ピピンに率いられた軍がアヴァールの本拠地を落とし、やがてアヴァールは滅亡した。
- 9世紀前半、西スラヴ族により大モラヴィアが建国された。
- 830年、フランクの影響を受けたハンガリー西部でカトリック教会が組織された。
- 9世紀末、マジャール人がドナウ流域に進出を始めた。勃興するブルガリアを牽制するために、ビザンティン帝国がマジャールのドナウ進出を支援していた。
右の画像は、ブダペスト郊外のドナウ川の様子。
ドナウ川については、ココをクリック。
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- 892年、族長アールパードに率いられたマジャール人が、東フランクと連携して大モラヴィアに侵入した。
- 905年から906年にかけて、マジャール人に大敗した大モラヴィアが滅亡した。
- 933年、ドイツ王ハインリヒ1世に対するリアトの戦いにおいて、マジャール人が敗北した。
- 955年、ハインリヒ1世の子オットー1世(後に神聖ローマ皇帝)に対するレッヒフェルトの戦いに於いて、マジャール人が敗北。以後、マジャール人は定住生活に入った。
- 972年、アールパード朝のゲーザ(アールパードの孫)がマジャールの支配者となった。彼は後に洗礼を受けた。
- 997年、ゲーザの息子ヴァイク(後の聖イシュトヴァーン)がマジャール人の支配者となった。
- 1000年、ヴァイクがローマ教皇から王冠を授かり、聖イシュトヴァーンとして初代ハンガリー国王となった。同時に、彼はマジャールのキリスト教化を進めた。
右の画像は、ブダペスト市内の聖イシュトヴァーン大聖堂にある聖イシュトヴァーン王の像。
聖イシュトヴァーン大聖堂に関して詳しくは、ココをクリック。
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