東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

ブダペストの春(ハンガリー)
1996 年 5 月


[ ハンガリー略年表 -6.]

ハプスブルク帝国 ( 18 - 19c)

  • 1703年、ハプスブルク家の統治に反発したハンガリー貴族が、ラーコーツィ・フェレンツを指導者として反乱を起こした。多くのハンガリー人の支持を得た反乱軍は、ハンガリーのほぼ全土を掌握した。

  • 1705年、既にトランシルヴァニア公となっていたラーコーツィ・フェレンツ2世が、ハンガリー王に選出された。

  • 1711年、ハンガリー国内のハプスブルク派の支援を得たハプスブルク軍が、ラーコーツィ・フェレンツ軍を撃ち破った。サトマールの講和により、ハプスブルク家のカール6世が、カール3世としてハンガリー王に即位。

    ラーコーツィ・フェレンツはフランスに亡命し、ルイ14世が与える年金によって暮らした。なお、ルイ14世の死後、ラーコーツィ・フェレンツはトルコに移った。

  • 1722年、神聖ローマ皇帝カール6世(ハンガリー王カール3世)の求めた相続順位法が成立。

  • 1740年、相続順位法に基づき、ハプスブルク家のマリア・テレジアがハンガリーの王位を継承。他方、オーストリア継承戦争が勃発。

  • 1741年、オーストリア継承戦争で苦境に立つマリア・テレジアがハンガリー国会で貴族たちの支援を求め、ハンガリー貴族たちが参戦を決定した。

  • 1764年、トランシルヴァニアにおけるセーケイ人の反乱。

  • 1788年、マリア・テレジアの子ヨーゼフ2世の改革に対して反感を抱いたハンガリー貴族が反乱を起こし、ヨーゼフ2世は妥協を余儀なくされた。

  • 1789年、フランス革命勃発。その影響により、ハプスブルク帝国支配下の諸民族に民族的自覚が高まった。

  • 1791年、トランシルヴァニアのルーマニア人が、ウィーン政府に対して地位の改善を要求。

  • 1795年、ハンガリー・ジャコバン党事件。

  • 18世紀末、ハンガリーの文学者が、自由・平等・民族独立の傾向を強めた。

  • 1838年、ドナウ川の水があふれ、ブダペストで洪水が起きた。

    右の画像は、ブダペスト郊外のドナウ川の様子。

    ドナウ川については、ココをクリック


  • 1844年、言語法成立。ハンガリー語が公用語とされた。これに対して、ハンガリー内に住む少数民族が反発。

  • 1846年、ペストとヴァーツとの間に鉄道が開通。

  • 1847年、小地主層を代表して民族運動を指導していたコッシュート・ラヨシュが下院議員に当選し、下院の自由主義勢力が革命的な性格を強めた。

  • 1848年、フランス二月革命。

  • 1848年3月3日、ハンガリー国会で演説したコッシュートが、ハンガリーの完全な自治を要求した。

  • 1848年3月13日、ウィーンで暴動が起こり、メッテルニヒが失脚した。

  • 1848年3月15日、ブダペストにおいて青年達のデモが行われ、国会は多くの改革的な法律を成立させた。

  • 1848年3月31日、ハプスブルク家はハンガリーが独立の内閣を持つことを認めた。その結果、バッチャーニを首相とし、蔵相コッシュートを実質的な指導者とするハンガリー内閣が成立した。

    しかし、ハンガリー国内に住む少数民族を抑圧したため、国内での民族対立が激化した。

  • 1848年9月、ハンガリー政府に対抗するクロアティア人・スロヴェニア人の武装勢力がハンガリー本土に侵入。しかし、ハンガリー軍によって阻止された。

  • 1848年10月、ウィーン政府がハンガリーに対して宣戦を布告。ハンガリーのマジャール化政策に反発していた少数民族はウィーン政府についた。

  • 1849年1月、ヴィンディッシュグレーツ将軍指揮下のオーストリア軍がブダペストを占領した。しかし、ハンガリー東部に移った独立派は、コッシュートを首班とする臨時革命政府を組織して抵抗を続けた。

  • 1949年4月19日、ハンガリー国会がハプスブルク家の王の廃位を宣言。

  • 1949年5月21日、コッシュートを指揮官とする臨時革命政府軍がブダペストを奪還した。

  • 1849年8月13日、革命の波及を怖れるロシア軍の20万人に及ぶ部隊に支援されたオーストリア軍が、軍司令官ゲルゲイ・アルトゥール指揮下のハンガリー臨時革命政府軍を降伏させた。ここにハンガリーの独立運動は失敗に終わった。

    コッシュートはオスマン・トルコに逃れ、以後もハンガリーの独立のための活動を続けた。

  • ハンガリー臨時革命政府軍の指揮官13名と政府を主宰していたバッチャーニ・ラヨシュが処刑された。

  • 1949年11月、ブダとペストを結ぶ鎖橋が完成。

  • 1859年、イタリア独立戦争。ソルフェリーノの戦いにおいて、オーストリア軍はフランス・イタリア連合軍に敗北。オーストリア帝国内の諸民族は、イタリアの動きに刺激され、再び自治を求め始めた。

  • 同年、ハンガリーの独立に執念を燃やすコッシュートは、フランスにおいてナポレオン3世と秘密会談を行い、同盟を模索したが成果を得ることは出来なかった。

  • 1866年、普墺戦争においてオーストリアがプロシアに敗れた。

  • 1867年、ハプスブルクとハンガリーとの間のアウグスライヒ(妥協)により、オーストリア・ハンガリー二重帝国が成立

    フランツ・ヨーゼフの戴冠式が、マーチャーシュ教会にて行われた。

    ドナウから見たマーチャーシュ教会 右の画像は現在のマーチャーシュ教会。

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