東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

ローマ と ポンペイ (イタリア)
1997 年 3 月

ローマ略年表 -3 [ 6世紀から15世紀 ]

  • AD 493年、東ゴート族テオドリックがオドアケルを破ってイタリア王となった。彼は首都をラヴェンナに置いた。

  • AD 590年、ローマの元老院議員の家に生まれたグレゴリウス1世が教皇となった。「神に選ばれた執政官」と墓碑に刻まれた彼によって、ローマの司教=教皇の権威は確立された。

  • AD 592年、ランゴバルド族がローマを占領した。

  • AD 726年、ビザンティン帝国における「聖像禁止令」の発布を機に、ローマの教皇庁は独立を強めた。

  • AD 751年、カロリング家のピピンが、教皇ザカリアスの承認を背景にメロヴィング家の王位を奪い、フランク王国の王となった。

    以後、教皇とカロリング朝フランクの連携が進んだ。

  • AD 754年、フランク王ピピンと教皇ステファヌス2世との間にケルシーの和約が成立。

    この和約に従いフランク王国はランゴバルド族を破り、奪い取った土地を教皇に寄進した。(すなわち「ピピンの寄進」)

  • AD 800年、ローマ貴族と教皇レオ3世との争いを解決したフランク王カール1世(カール大帝、シャルルマーニュ)が、レオ3世によってローマ皇帝とされた。

  • AD 846年、イスラム教徒がローマに侵入した。

    当時の教皇レオ4世は、イスラム教徒の脅威から守るために、ヴァティカンの周囲に城壁を築いた。

  • AD 904-1046年、教皇の位をめぐって多くの醜聞が続いた。

    この間に登極した教皇 44人のうち、暗殺された者 9人、廃位された者 9人、追放された者 7人。

    中には1000タラントの銀で教皇位を売ってしまった教皇もいた。

  • AD 1054年、東西の教会が互いに破門を宣言し、分裂は決定的となった。

  • AD 1077年、カノッサの屈辱。破門された神聖ローマ皇帝ハインリッヒ4世が教皇グレゴリウス7世に屈伏した。

    以後、聖職叙任権闘争が続いた。

  • AD 1309年、教皇クレメンス5世が教皇庁をアヴィニョンに移した。以後、「教皇のアヴィニョン捕囚」は約 70年間にわたって続いた。

  • 1417年、マルティヌス5世が教皇となり、1378年から続いた教会大分裂(シスマ)が終息した。

  • AD 15世紀半ば、ハドリアヌス帝の霊廟が改築され、現在のサンタンジェロ要塞となった。

    サンタンジェロ要塞 右の画像は、現在のサンタンジェロ要塞。



  • 1454年、前年のコンスタンティノープルの陥落を受け、オスマン・トルコのの攻勢に危機感を強めたミラノヴェネツィアとの間にローディの和約が成立した。

    翌年には、ローマ教皇庁・フィレンツェナポリがローディの和約に参加し、イタリアは五大勢力の均衡の許に安定した。

  • 1494年9月、アンジュー家を通じてのナポリ王位継承権を主張するフランス王シャルル8世がイタリアへの侵入を開始した。

    ミラノのイル・モーロ(ロドヴィーコ・スフォルツァ)は、フランス王にイタリア侵入を働きかけた張本人だった。

    同年11月、フランス王の脅威に対する対処に失敗したピエロ・デ・メディチに対し、フィレンツェの人々は反乱を起こした。メディチ家の人々はフィレンツェ脱出を余儀なくされた。

    ピサに入城したフランス王は、ピサのフィレンツェからの独立を認めた。

    同年12月、ローマの名門オルシーニ家がフランス側に寝返り、ローマ教皇庁は孤立した。

    12月31日、フランス王シャルル8世がローマに入城。

    翌1495年1月6日、ヴァティカンにおいて教皇アレクサンドル6世がフランス王シャルル8世と会見。

    1月28日、フランス王はローマを出発してナポリへ向かった。教皇アレクサンドル6世の庶子であるチェーザレ・ボルジアは、半ば人質として、フランス軍と共にローマを出発した。

    同年4月、既にナポリを征服したフランス王に対抗するための神聖同盟が成立した。参加したのはローマ教皇庁、フランス王によって正式にミラノ公爵とされたイル・モーロ、ヴェネツィア、マントヴァ、神聖ローマ帝国、スペイン王国など。しかし、サヴォナローラに指導されるフィレンツェは、神聖同盟には参加しなかった。

    同年7月、マントヴァ候フランチェスコ・ゴンザーガ指揮下の神聖同盟軍とフランス軍がタロー川付近で激戦を展開した。劣勢のフランス軍は、神聖同盟軍に甚大な損害を与えたが、輜重隊を奪われて壊走。シャルル8世のイタリア支配は短命に終わった

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