東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
ローマ と ポンペイ (イタリア)
1997 年 3 月
ローマ略年表 -4 [ 16世紀 ]
- 1506年、教皇ユリウス2世はサン・ピエトロ大聖堂の再建を開始した。
しかし、巨大な大聖堂の建築工事は教皇庁の財政状態の悪化をもたらし、免罪符の頒布、そしてルターの宗教改革の遠因となったとの説もある。
- 1513年、メディチ家出身のレオ10世が教皇となった。彼は、サン・ピエトロ大聖堂の建設をラファエロに任せた。
- 1527年、ハプスブルク家の皇帝カール5世の軍がローマを攻略。新教徒だったドイツ兵たちはローマで略奪を行った。
サンタンジェロ城に逃げ込んだメディチ家出身の教皇クレメンス7世も囚われの身となった。
- 1534年、ローマの名家ファルネーゼ家出身のパウルス3世が教皇となった。彼はドイツ兵の略奪によって荒廃したローマの復興に努めた。
- 1546年、教皇パウルス3世は、サン・ピエトロ大聖堂の建築工事を既に老齢となっていたミケランジェロに委ねた。
- 1559年、ハプスブルク家とフランス王家との間でカトー・カンブレジの和約が成立した。両王家の間で繰り広げられたイタリア戦争も、ここに一応の終息を迎えた。
- 1585年、日本の天正遣欧少年使節たちがローマに於いて教皇に拝謁した
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