東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
ローマ と ポンペイ (イタリア)
1997 年 3 月
ローマ略年表 -2 [ 1世紀から5世紀まで ]
- AD 64年、ローマの大火。皇帝ネロがキリスト教徒を迫害するために仕組んだものと言われている。
- AD 64-67年、皇帝ネロの迫害により、聖ペテロと聖パウロがローマで処刑されたと言われている。
- AD 70-90年頃、コロッセオ(円形競技場)が建設された。
右の画像は、コロッセオ(円形競技場)の一部。
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- AD 98-117年、トラヤヌス帝の統治。この時期にローマ帝国の版図は最大となった。
- AD 118-128年、ハドリアヌス帝が今に残るパンテオンを再建した。
右の画像は、ハドリアヌス帝が再建したパンテオンの一部。
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- AD 2世紀の後半、ローマの教会で司教位が確立されたと考えられている。
- AD 3世紀初め、カラカラ帝が大浴場を建設した。
- AD 270年、アウレリアヌス帝がローマ防衛のために新しい城壁を築いた。
- AD 3世紀末、キリスト教信仰の問題に関して、ローマ教会の影響力が強まった。
- AD 312年、コンスタンティヌス帝がローマの北でマクセンティウスを破り、西の正帝となった。
- AD 313年、東の正帝であるリキニウス帝の同意を得たコンスタンティヌス帝は、ミラノ勅令によってキリスト教を公認した。
- AD 315年、マクセンティウスに対するコンスタンティヌス帝の勝利を記念して、コンスタンティヌスの凱旋門が建てられた。
- AD 324年、東の正帝リキニウスを破ったコンスタンティヌス帝が、ビザンティオンに新しい首都コンスタンティヌス(現在のイスタンブール)の建設を始めた。
- AD 349年、コンスタンティヌス帝がサン・ピエトロ大聖堂を建設した。(但し、今の大聖堂は17世紀に完成したもの。)
- AD 380年、皇帝テオドシウスの勅令により、キリスト教がローマ帝国の国教とされた。
同時に勅令はローマ教会の司教の権威をも認めていた。
- AD 395年、テオドシウス帝の死後、ローマ帝国は東西に分割された。西ローマ帝国は先帝の次男であるホノリウス帝に与えられた。
- AD 410年、アラリクスが率いる西ゴート族がローマを包囲。彼らは三日間に渡ってローマで略奪を行った。
- AD 452年、アッティラが率いるフン族がローマに進撃。しかし、教皇レオ1世の説得によりフン族は軍を引いた。
その結果、ローマ教会の司教(すなわち教皇)の権威が更に高められた。
- AD 455年、北アフリカに王国を築いたヴァンダル族のガイセリックの部隊がローマを襲撃した。
- AD 472年、スエヴィ族のリキメルがローマを占領した。
- AD 476年、西ローマ帝国滅亡。
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