東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「エミリア・ロマーニャとトスカナ(イタリア)」

03. クレッショーネとメルカンツィーア広場と宮殿

ピザを食べ損ねた ・・・

今夜はボローニャにあるミシュラン一つ星のレストランのテーブルを予約してある。が、お腹が空いて死にそうなんだ。いつもならばロンドンヒースロー空港パブでビールを飲みながらイングリッシュ・ブレックファストを食べてから旅に出るんだけど、今回はその時間が無かったからね。

というわけで、ボローニャの斜塔の近くにあるメルカンツィーア広場のカフェのテーブルに腰を下ろす。お目当ては本場イタリアのピザ。これで4度目のイタリアの旅なんだけど、何故だか今までイタリアでピザを食べたことが無い。今度こそはピザ、と意気込んでいるわけだ。

ところが、英語の達者なカフェのお兄さんが言うには、まだピザの準備が出来ていないと。またもや本場イタリアのピザを食べ損なってしまった。(ちなみに、次のイタリア旅行の際にはピザの本場ナポリピッツァ・マルゲリータを考案したピッツェリア「ブランディ」や18世紀前半の創業という老舗ピッツェリア「ポルタルバ」でピザを堪能することが出来たんだけどね。)

ボローニャで食べたクレッショーネ

ピザの準備ができていないのはわかった。でも、私はこの空腹に耐える準備ができていない。何でもいいから、軽く食べるものを出しておくれよ。何か、美味しいものはないかな。

イタリアのボロニャーで食べたクレッショーネ

「良いものがある」と言って店の奥にむかったお兄さん。やがて持ってきてくれたのが、上の画像にある食べ物。その名前を尋ねると、クレッショーネという答だった。ピザとピタパンの中間のような ・・・ あるいはクレープにも似て ・・・ その中にはハムとチーズ。あっさり塩味でもちもちと美味い。

ところで、このクレッショーネ。資料を調べたところでは、パン生地に具材を詰め込み、半円形に折りたたんで焼いたものみたい。クレッショーネというのは、英語ではクレセント、つまりは三日月ということなんだろうね。初めて食べたクレッショーネは、手軽でしかも美味しかった。

メルカンツィーア宮殿

下の画像でクレッショーネをほおばる私の背後に写っているのは、14世紀に建てられたメルカンツィーア宮殿。宮殿といっても、昔のお殿様が住んでいたわけじゃないらしい。税関や商事関係の争いを裁く裁判所の建物だったそうな。そして今も商工会議所として使われているらしい。

イタリアのボロニャーで食べたクレッショーネ、向こうにはメルカンツィーア宮殿

前のページで見たように、ボローニャの街には中世の塔も残っている。ヨーロッパの中でもボローニャは中世の面影を残す街として代表的な存在なんだそうな。

といっても、ボローニャがずっと平和を謳歌してきたわけじゃない。例えば第二次世界大戦においては、西暦1943年には連合国軍はナポリに上陸したんだけど、その翌年には連合国軍はローマを攻略している。その時期にはボローニャにも空爆が行われたらしい。

そして西暦1945年4月には連合国軍がボローニャを攻略。イタリア北部の交通の要衝ボローニャを失ったドイツ軍の守りは間もなく崩壊したらしい。そんな戦乱にも拘わらず、ボローニャの中世の街並みが残ったのは有り難いことだよね。

メルカンツィーア広場

税関や商事裁判所だったメルカンツィーア宮殿の前には、メルカンツィーア広場(下の画像)がある。かつては商人たちが集まっていたらしい。

イタリアのボロニャーのメルカンツィーア広場

上の画像の左手奥にもポルティコ(柱廊)が見えているね。このメルカンツィーア広場の周辺には、多くのポルティコが残っているらしい。ちなみに、かつてはポルティコは木造だったそうな。でも、16世紀頃に多くのポルティコがレンガ造りや石造りに改築されていったとか。


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