エミリア・ロマーニャ と トスカナ (イタリア) 1999 年 6 月
いよいよ旅の三日目。今日はアドリア海を見下ろす山の上にある小さな独立国サン・マリノ共和国に遊びに行くことになっている。 しかし、心配なのは列車の運行状況。昨日の夕方はピアチェンツァでの列車事故のおかげで、ラヴェンナからの帰りに大混乱だったからね。今日は大丈夫だろうか ?? サン・マリノ共和国今日の目的地サン・マリノ共和国は、イタリアのエミリア・ロマーニャ州とマルケ州との間にはさまれた小さな国。アドリア海を見下ろす標高750mのチタン山の上にある国。但し、海辺の街リミニからは 22km離れており、アドリア海に面しているわけではない。 サン・マリノの人口は約 25,000人。人々はイタリア語を話し、カトリックを信仰している。独自の通貨サンマリノ・リラを持ってはいるが、その価値はイタリア・リラと同じであり、経済的・社会的にはイタリアの一部ということも出来る。 しかし、そんな豆粒ほどに小さなサン・マリノなんだけど、歴史を誇る独立国なんだ。歴史とか国家って何なんだろうか、と考えさせられる小さな国だ。 やはり事故の影響昨日と同じく、ホテルの目の前にあるボローニャ駅から出発。駅の電光掲示板で確かめたところ、私たちが乗る予定の列車は予定通りに運行されるようだ。しかし、予定の列車がやってきたのは、定刻の 20分遅れだった。先が思いやられるよ。ともかく 9時25分にボローニャ駅を出発。 列車の中はかなり混雑している。私たちはファースト・クラスのチケットを持っているんだけど、座席を見つけることが出来ず、通路に立ちっぱなしとなってしまった。 フォルリ と カテリーナ・スフォルツァボローニャを出て30分ほどで、列車はフォルリの駅に停車。昨日、ラヴェンナへ向かう途中で通過したイーモラと同じく、かつてカテリーナ・スフォルツァ(黒備えのジョヴァンニの母であり、トスカナ大公コシモ1世の祖母)が支配していた街だ。しかし、この街も法王アレクサンドル6世の庶子チェーザレ・ボルジアによって奪われている。チェーザレがフランス兵 1万5千を率いてフォルリの街に入城したのが1499年12月19日のこと。 カテリーナ・スフォルツァはラヴァルディーノの要塞にたてこもって抵抗したが及ばず、やがて要塞は陥落した。1500年1月12日のことだった。 カテリーナ・スフォルツァは囚われ、ヴァティカンに送られている。(詳しくは塩野七生さんの「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」「ルネサンスの女たち」をお読みくださいね。) リミニ駅10時25分にリミニ駅(右の画像)に到着。田舎にしては、ちょっとした駅だ。というのも、リミニは海辺のリゾート地。夏には大勢の人々がやってくる。しかし、私たちの今回の旅では、海辺に出る時間が無い。駅前でタクシーに乗り込み、サン・マリノへ向かう。
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