東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「エミリア・ロマーニャとトスカナ(イタリア)」

34. キャンティのワイン村のブドウ畑を散歩

キャンティのワイン村で見たブドウの実

今回の旅もとうとう折り返しの5日目となった。キャンティのワイン村のホテルでのんびりも2日目だ。さて、まずは朝食だ。ホテルの広いテラスに置かれたテーブルで朝陽を浴びながら食べる用意が出来上がっていたよ。

基本的に私はイギリスの首都ロンドンパブでよく食べたイングリッシュ・ブレックファストの方が好きなんだけど、このホテルのコンティネンタル・ブレックファストは美味かった。ジャムが美味い。家内の好きなパイナップルが美味い。私の大好きなスイカもたっぷりと用意されている。しかも、コーヒーがとっても美味い。そして朝から屋外のテーブルでの食事。まさに最高の休暇の朝だよね。

そんな楽しい朝食を終えて、ホテルの周囲をちょいと散歩。ホテルの敷地のすぐ外はブドウ畑なんだ。なんせキャンティのワイン村の中にあるホテルだからね。そんなブドウ畑で見たのが、下の画像のブドウの実。

キャンティのワイン村のブドウ畑のブドウの実(イタリア)

まだ 6月だからブドウの実も小さくて固いね。これから夏の太陽の光を浴びて、ブドウの実はどんどん大きく育っていくんだろうね。うん、今日はホテルの周囲のブドウ畑を散歩することにしよう。せっかくキャンティのワイン村に滞在しているんだからね。ちょいと部屋に戻って、散歩の準備をして出発することにしよう。

ブドウ畑にあるブドウのトンネル

部屋に戻って小さなリュックに入れたのは、キャンディが少々とミネラル・ウォーターだけ。そして雨具は、・・・今日は不要だよね。最高の天気だもの。というわけで出発の準備が完了。ホテルの横にあるブドウのトンネル(下の画像)から歩き始めた。

キャンティのワイン村のブドウ畑にあるブドウのトンネル(イタリア)

ブドウのトンネルの入口から歩き始めたんだけど、このトンネルの長いこと。ホテルの横からは坂道を下り、やがて丘を登り始める。もちろん左右はキャンティのワインを生み出すブドウ畑だ。やがて丘のてっぺんにトンネルの出口があったよ。

キャンティのワイン村のブドウ畑の広いこと

ようやくたどり着いたブドウのトンネルの出口の脇から眺めた風景が下の画像なんだ。見渡す限りキャンティのワイン村のブドウ畑(下の画像)が続いている。遠く丘の上には私たちが泊まっているホテルが見えている。

キャンティのワイン村の丘に広がるブドウ畑と遠くに見えるホテル(イタリア)

このあたりはカステルヌオヴォ・ベラルデンガと呼ばれる地域なんだけど、キャンティ・クラシコの赤ワインを生産する地域に含まれている。カステルヌオヴォ・ベルデンガで生産されるキャンティ・クラシコは、とってもふくよかで豊かな味わいのワインになるんだそうな。

前のページにも書いたけど、西暦1716年にキャンティの赤ワインの生産地域を定めたのは、メディチ家のトスカナ大公コシモ3世だった。その後、西暦1932年にはイタリア政府がキャンティの生産地域を拡大している。西暦1967年にもキャンティの生産地域が更に拡大されている。でも、その中心となっているのはキャンティ・クラシコの生産地域、つまりコシモ3世が定めた元々のキャンティの生産地域なんだそうな。

ちなみに、メディチ家の最後のトスカナ大公ジャン・ガストーネ(コシモ3世の息子)が西暦1737年に亡くなり、メディチ家の嫡流は断絶してしまった。キャンティのワイン生産地域が定められたのはメディチ家が残した遺産の一つなのかもしれないね。もちろん、メディチ家の最大の遺産はウフィツィ美術館などで見ることの出来るイタリア・ルネサンスの絵画などなんだろうけど。

キャンティのブドウ畑に植えられた若いブドウの木

果てしなく続くワイン村のブドウ畑の一画には、下の画像のような若いブドウの木が植えられている畑もあったよ。

キャンティのワイン村の丘に広がるブドウ畑の若いブドウの木(イタリア)

新しく開墾されたブドウ畑なのか、あるいは古くなったブドウの木を植え替えたブドウ畑なのか。この若いブドウの木からはしばらくはワインの原料になるブドウの実は収獲できないよね。

でも、こうして新しいブドウの木を植えてこそ、歴史あるキャンティのワインが作り続けられるわけだね。余談ながら、キャンティのワインは13世紀の記録に登場しているらしい。それだけ歴史のあるワイン生産地なんだね。

といっても、キャンティのワイン作りにも苦難の時期があったらしい。例えば19世紀後半にはキャンティのブドウ畑で病気や害虫が蔓延し、ワイン生産が大きく落ち込んだことがあったらしい。第二次世界大戦の後には量を追求した結果としてキャンティのワインの質が低下し、消費者が離れて行ったこともあった。

キャンティのワインについて前のページで書いたような様々な条件が設けられたのは、そんな苦難の時期があったからなんだね。


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