シエナ大聖堂(ドゥオモ)にやって来た続いてやって来たのは、下の画像にあるシエナ大聖堂(ドゥオモ)。その建設工事が始まったのは西暦1196年のことだった。(西暦990年にフランチジェーナ街道を歩いてローマに赴いたカンタベリーの大司教シゲリックは、この大聖堂を見てないわけだね。)
西暦1215年には献堂式が行われ、日々のミサもここで執り行なわれるようになっていた。といっても、建設工事は続いていた。今のシエナ大聖堂がとりあえず完成したのは西暦1264年のこととされている。
シエナ大聖堂(ドゥオモ)拡張の挫折西暦1296年、シエナのライバルだったフィレンツェにおいて、花の聖母マリア大聖堂(ドゥオモ)の建設が始まった。その設計を行ったアルノルフォ・ディ・カンビオは、師匠と共にシエナの大聖堂(ドゥオモ)で働いたこともあったらしいよ。そのフィレンツェの野心的な建設工事に刺激を受けたシエナは、自分たちの大聖堂(ドゥオモ)の大規模な拡張工事を計画した。西暦1339年のことだった。その計画に従い、シエナ大聖堂(ドゥオモ)の拡張工事は西暦1340年に始まったらしい。(下の画像はシエナ大聖堂の鐘楼。街の中心たるカンポ広場からも見えていたね。)
ところが、西暦1347年にフランス南部プロヴァンス地方の港町マルセイユに上陸した黒死病(ペスト)が翌年にはシエナでも猛威をふるい、シエナは人口の半分を失ったんだそうな。その結果、シエナの経済は大打撃を受け、大聖堂(ドゥオモ)の拡張工事は止まってしまった。
イタリア・ゴシックの華とされるシエナ大聖堂の正面ファサード拡張工事が再開されることは無かったけれども、イタリア・ゴシックの華とされるシエナ大聖堂(ドゥオモ)の正面ファサード(下の画像)は、イタリアでも最も美しいものと評価されている。
シエナ大聖堂(ドゥオモ)の正面ファサードの工事は西暦1284年頃に始まったらしい。その責任者だったジョヴァンニ・ピサーノは、ユダヤの予言者やキリストの使徒たちの彫像を制作し、正面ファサードを飾ったらしい。そのジョヴァンニ・ピサーノはピサの斜塔の脇にある大聖堂(ドゥオモ)に説教檀を残している。
シエナ大聖堂(ドゥオモ)の内部は ・・・いよいよ、シエナ大聖堂の中に入る。大理石で装飾された床、シエナ派の画家たちによるフレスコ画、様々な彫像や説教檀など、内部にも見るべきものは多い。更には様々なお宝を展示する大聖堂美術館もある。でもね、残念ながら中ではカメラは使用禁止だった。というわけで、シエナ大聖堂(ドゥオモ)内部の様子を画像でお見せすることができないんだ。ところで、シエナが誇るイタリアで最も美しいものが五つあるらしい。その筆頭がこの大聖堂(ドゥオモ)なんだそうな。では、残りの四つはといえば、カンポ広場、街並み、女性、そして言葉らしいよ。
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