東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「エミリア・ロマーニャとトスカナ(イタリア)」

46. チステルナ(井戸)広場とドゥオモ

サン・ジミニャーノのチステルナ広場、再び

泊まっていたホテルのテラスから中世の塔の街サン・ジミニャーノの眺望を堪能したら、ホテルを出て今日も街を歩く。まずは13世紀に掘られたという井戸(下の画像)を中心としたチステルナ広場(井戸広場)だ。といっても、ホテルの玄関を出たところが、そのチステルナ広場なんだけどね。

中世の塔の街サン・ジミニャーノにあるチステルナ広場の井戸(イタリア)

昨日も書いたけど、このチステルナ広場の周囲の建物は12世紀から13世紀にかけて建てられたものばかり。しかも、その建物の上には中世の塔がこちらを見下ろしている。サン・ジミニャーノに漂う中世の空気を凝縮したような広場だね。

サン・ジミニャーノのドゥオモと呼ばれる聖母被昇天教会

続いてやって来たのは、サン・ジミニャーノでドゥオモと呼ばれる聖母被昇天教会(下の画像)だった。

中世の塔の街サン・ジミニャーノにあるドゥオモあるいは聖母被昇天教会の正面ファサード(イタリア)

この教会の献堂式が執り行なわれたのは西暦1148年のことだった。カンタベリー大司教シゲリックがローマまでの巡礼の旅をしたフランチジェーナ街道の重要な拠点となっていたサン・ジミニャーノの街の教会には、多くの巡礼が訪れたんだそうな。

ちなみに、メディチ家が追放された後のフィレンツェを統治していた修道士サヴォナローラは、西暦1497年にこの教会で説教を行ったことがあるらしい。ローマ教皇アレクサンデル6世によって破門されて火刑に処される前のことみたいだね。

聖ジミニャーノに捧げられた聖母被昇天教会

このドゥオモは聖ジミニャーノ(サン・ジミニャーノという街の名の元となった人物)に捧げられている。その聖ジミニャーノはモデナの街の司教だったらしい。でも、西暦397年にサン・ジミニャーノの街で亡くなったとも言われているんだそうな。

では、この聖ジミニャーノは何をした人物なのか。テオドリック王に率いられた東ゴート族などのゲルマン系の人々が信仰したアリウス派に反対したらしい。更にはイタリアに侵攻したアッティラのフン族からモデナを守ったともされている。但し、フン族の侵攻は聖ジミニャーノが亡くなって50年以上も後のことなんだけどね。

色々と調べてはみた。でも、聖ジミニャーノが何をした人物なのかはわからなかったんだ。ともかく、サン・ジミニャーノの街の名前の由来となった人物であり、加えてドゥオモが捧げられた人物なんだそうな。

中世の塔の街サン・ジミニャーノにあるドゥオモあるいは聖母被昇天教会の中の聖母子像(イタリア)

聖ジミニャーノに捧げられたドゥオモではある。が、正しくは聖母被昇天教会と称するみたい。その建物の中には聖母子像(上の画像)もあったよ。但し、上の画像の聖母の服装にはちょいと違和感があるよね。一般的に聖母は赤と青の衣装をまとっている。ラファエロの描いた聖母もそうだよね。その点で上の画像の聖母はちょいと個性的なのかも。

サン・ジミニャーノの人々が崇める聖女フィーナ

聖ジミニャーノに捧げられた聖母被昇天教会の一画に、15世紀後半に増築されたのが聖女フィーナの祭壇だった。日本ではさほど知られていない聖女フィーナなんだけど、西暦1238年にサン・ジミニャーノで生まれ、10歳の時に重病を患って身体が麻痺し、父と母を相次いで失い、西暦1253年に15歳で亡くなったらしい。

そんな苦しい状況でありながらもみすぼらしい家の中で木のベッドに横たわり、キリスト教の信仰を捨てることなく、むしろサン・ジミニャーノの人々を励ましたらしい。彼女の数日前には聖グレゴリウスが姿を現し、彼女の亡くなる日を予言したんだけど、聖女フィーナはまさにその日に亡くなった。その木のベッドには白いスミレの花が咲いていたらしい。

彼女の死後も奇跡は続いた。彼女のお墓にお参りした病人は、健康を回復したらしい。そんな彼女のお墓に献じられたお金で西暦1255年には病院が設立されたんだそうな。更には西暦1479年と西暦1631年にはペストからサン・ジミニャーノの街を救ったとされている。。

そんなわけでサン・ジミニャーノの人々はドゥオモに聖女フィーナの祭壇を設け、街の守護聖人として崇めているらしい。但し、実のところは彼女は正式に列聖されたわけではないんだそうな。しかも、公式に街の守護聖人とされた事実も無いらしい。

更には、サン・ジミニャーノの「ドゥオモ(大聖堂)」と呼ばれるこの聖母被昇天教会も、正式に司教座聖堂(つまりドゥオモあるいは大聖堂)とされてはいないんだそうな。信仰は形式じゃないんだろうけどね。

ちなみに、この「ドゥオモ」の中には聖女フィーナや聖書にまつわるテーマを描いたフレスコ画などが色々と残されている。ゴッツォーリやギルランダイオなどのルネサンス期の高名な画家の作品もあるんだ。でも、建物の中ではカメラの使用は禁じられていた。というわけで、ここで画像をお見せすることができなんだ。残念ながら。


次のページは 「47. 旗と塔の街 サン・ジミニャーノ」



ヨーロッパ三昧 トップ・ページ

ヨーロッパの歴史風景

このサイト「ヨーロッパ三昧」には、下の姉妹サイトもあります。ヨーロッパに興味のある方は寄り道してくださいね。

ヨーロッパの歴史風景 バナー このサイト「ヨーロッパ三昧」の姉妹サイト「ヨーロッパの歴史風景」。ヨーロッパ各国の歴史に重点を置いてある。



Copyright (c) 2000-2014 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。

このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。