東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「カンパーニャとローマ・ヴァティカン」(イタリア)

第一部 ソレント・アマルフィ編

A21. アマルフィのホテルの部屋から眺めた地中海

アマルフィのホテルの部屋の窓から地中海

前のページではアマルフィで泊まる月の修道院ホテルの部屋をご紹介したけど、最も大事なことが抜けていた。

イタリア南部アマルフィにある月の修道院ホテルの部屋の窓から地中海が見える

それが部屋の窓から眺める地中海。上の画像は私たちの部屋のリビング・ルームと窓なんだけど、その窓の向こうには地中海が広がっている。

部屋から眺めた地中海を行く船の航跡

そんな地中海を行く船の様子が下の画像だ。9世紀前半に独立した中世のアマルフィ共和国は、海洋都市国家として繁栄した。その頃の船も下の画像のような航跡を残して遠ざかっていったんだろうね。

イタリア南部アマルフィにある月の修道院ホテルの部屋から眺めた地中海、船、航跡

中世海洋都市国家として繁栄した当時のアマルフィの艦隊はイスラム教徒とも戦っている。9世紀半ばにオスティアの戦いに勝利を得たキリスト教徒連合軍にアマルフィ艦隊も参加していたんだ。その後のアマルフィはピサによる略奪を受けるなどによって衰退していった。でも、十字軍の時代にアマルフィの商人たちが聖地に設立した病院は、やがて聖ヨハネ騎士団を生み出す基盤の一つとなったんだ。

その聖ヨハネ騎士団はイスラム教徒との戦いを続け、16世紀前半にはオスマン・トルコの侵攻によってロードス島を失ったものの、西暦1565年にはオスマン・トルコの大軍からマルタ島を守り抜き、更に西暦1571年にはレパントの海戦においても聖ヨハネ騎士団の艦隊が活躍している。

地中海に浮かぶヨット

アマルフィから出航した船と船乗りたちは聖地などに赴いたんだけど、他方で地中海はイスラム教徒の海賊たちをイタリアに導いてもいる。16世紀半ばには、オスマン・トルコの艦隊がアマルフィを襲撃したんだそうな。

イタリア南部アマルフィにある月の修道院ホテルの部屋から眺めた地中海とヨット

そんな中世の海賊たちの航跡も今では過去のものとなり、今のアマルフィの海にはのんびりとヨットが浮かんでいるんだけどね。

月の修道院ホテルの前の海で泳ぐ人々

この月の修道院ホテルの前の海は、海水浴場というわけではない。でも、岩場から海に入り泳いでいる人々もいる。平和な海だよね。

イタリア南部アマルフィにある月の修道院ホテルの部屋から眺めた地中海で泳ぐ人々

月の修道院ホテルの部屋の中にも地中海の風が入ってくる。心地良いよね。海の眺めも素晴らしい。ディナーの時間までここでのんびりするのも良いかも ・・・ 。でも、貧乏性の私たちにそんなゼイタクな時間の過ごし方は似合わない。せっかくのアマルフィだからね。頑張ってあちこち見て歩きたいよね。まず手始めにこのホテルの中の探検からだね。


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