東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「カンパーニャとローマ・ヴァティカン」(イタリア)

第二部 パエストゥム・サレルノ編

B18. メルカンティ通りと路地とサレルノ医学学校

サレルノ旧市街のメルカンティ通り

皇帝ハインリヒ4世にカノッサの屈辱を味わせたローマ教皇グレゴリウス7世やノルマン人ロベール・ギスカールゆかりのサレルノのドゥオモ(大聖堂)を見た後は、メルカンティ通り(下の画像)を歩く。

イタリア南部カンパーニャ地方の街サレルノのメルカンティ通り

一見したところでは、街の人々の生活の舞台となっている道だね。でも、ガイドブックによれば、サレルノ旧市街にある中世の面影を残した通りなんだそうな。例えばポルトガルリスボンに残るアルファマ地区だって、とっても庶民的な路地に見えるけど、実は西暦1755年のリスボン大地震による破壊を免れたかつての高級住宅街だったらしい。今の見た目で判断することはできないわけだ。

サレルノ旧市街の路地

そんなサレルノ旧市街のメルカンティ通りと交差している路地にちょいと入り込めば、下の画像のような眺めを見ることになる。

イタリア南部カンパーニャ地方の街サレルノのメルカンティ通りと交差する路地

2階のベランダからワンちゃんが見下ろしていたり、頭上高くに洗濯物の万国旗がはためいていたり、まさに人々が暮らしている場所だね。

サレルノ医学学校博物館(サン・グレゴリオ教会)

メルカンティ通りに面しているのが、下の画像にあるサン・グレゴリオ教会。その中はサレルノ医学学校博物館になっている。

イタリア南部カンパーニャ地方の街サレルノの医学学校博物館

サレルノの医学学校(あるいはサレルノ大学の医学部)は、ヨーロッパでも最古の医学学校だったそうな。でも、残念ながら博物館は閉まっていて、中を見ることが出来なかったんだけどね。

コレアか、ジャポンか

平和な庶民の暮らしが息づくサレルノの通り ・・・ ではあるけど、ちょいとビクついた時もあった。狭い通りに群れていた若者たちが、私たちに向かって「コレアか、ジャポンか」と叫んできたときのこと。無視していたんだけど、あまりにしつこく叫んでくるから、面倒臭くなって「ジャポン」と叫び返してやったんだ。

その場はそれで治まった。でも、サッカーのワールド・カップでイタリア・チームが韓国チームに敗れたことが尾を引いているんだろうね。イタリアを旅している韓国の人たちは、不愉快な思いをしているかもしれないね。


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