東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「カンパーニャとローマ・ヴァティカン」(イタリア)

第四部 ローマ・ヴァティカン編

D07. ピオ・クレメンティーノ美術館のミューズの間

ピオ・クレメンティーノ美術館のミューズ(ムーサ)たち

ピオ・クレメンティーノ美術館ベルヴェデーレの中庭(八角形の中庭)から再び建物の中に入り、彫像のギャラリーと動物の間の奥にあるミューズ(ムーサ)の間にやって来た。まず眼に入るのは、下の画像にあるミューズ(ムーサ)たちの像だね。

イタリアの首都ローマのヴァティカン博物館のピオ・クレメンティーノ美術館のミューズの間にあるミューズ(ムーサ)像

ミューズ(あるいはムーサ)というのは、ギリシャ神話に登場する9人の女神たちなんだ。各々の女神は、音楽、抒情詩、叙事詩、恋愛詩、ダンス、悲劇、喜劇 ・・・ などの芸術を司っているんだそうな。その女神の名前から、ミュージックという言葉が生まれたに違いないよね。

ところで、このミューズ(ムーサ)像たちは、古代ローマ帝国の皇帝ハドリアヌスの時代の別荘跡から発見されたんだそうな。イタリアのあちこちを掘り返せば、まだまだ色々なものが発掘されるんだろうね。

古代ギリシャの哲学者ソクラテスの像

続いて興味深かったのは、「悪法もまた法なり」という言葉で名高い古代ギリシャの哲学者ソクラテスの像(下の画像)だった。

イタリアの首都ローマのヴァティカン博物館のピオ・クレメンティーノ美術館のミューズの間にあるソクラテス像

哲学者ソクラテスは、アテネの人々によって裁判にかけられた。若者たちを堕落させたという罪で。プラトンなどソクラテスの弟子たちは亡命を勧めたらしい。でも、逃亡をも拒んだソクラテスは、紀元前399年に毒によって処刑されてしまった。

古代アテネの政治家ペリクレス

続いては、古代アテネの政治家ペリクレスの像(下の画像)かな。ペルシャとの戦争に勝ち、最盛期を迎えたアテネの政権を握ったペリクレスは、パルテノン神殿などを築いたことで知られているね。

イタリアの首都ローマのヴァティカン博物館のピオ・クレメンティーノ美術館のミューズの間にあるペリクレス像

でも、やがてアテネはペロポネソス戦争に巻き込まれ、政治家ペリクレスは疫病で亡くなる。その後のアテネはペロポネソス戦争にも敗れ、衰退していったわけだ。

ところで、上の画像にあるペリクレス像とそっくりな彫像がイギリスの首都ロンドン大英博物館にもある。二つの像がどのような関係にあるのか、わからないんだけどね。

ベルヴェデーレのトルソ

このミューズの間で必見の彫像が残されている。それが下の画像にあるベルヴェデーレのトルソと呼ばれる彫像なんだ。「トルソ」という言葉は、イタリア語で「幹」を意味するらしい。そこから転じて、頭や手足の無い裸身(つまり胴体)の彫像のことをトルソと呼ぶんだそうな。

イタリアの首都ローマのヴァティカン博物館のピオ・クレメンティーノ美術館のミューズの間にあるベルヴェデーレのトルソ

このヴァティカン博物館にあるベルヴェデーレのトルソはただものじゃないよ。まずこの像をここに持ち込んだのが、フィレンツェ出身のメディチ家出身のローマ教皇クレメンス7世だった。そして、この像を見て研究したのがミケランジェロだった。彼が描いたシスティナ礼拝堂のフレスコ画の中の裸体には、このベルヴェデーレのトルソの影響が見られるらしい。

このベルヴェデーレのトルソには、紀元前1世紀のアテネの彫刻家アポロニウスのサインがあるらしい。伝統的にヘラクレスの胴体だとされてきたけれども、正確なところは不明なんだそうな。


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