フォロ・ロマーノの聖なる道から眺めたカピトリーノの丘ローマのフォロ・ロマーノを歩き、トラヤヌスのフォロ、カエサル(シーザー)とアウグストゥスのフォロを見て、更に進んできた。そして下の画像は、フォロ・ロマーノの聖なる道からカピトリーノの丘を眺めた風景なんだ。
古代ローマ時代の凱旋パレードが通るのがフォロ・ロマーノの聖なる道であり、昔も今もローマの中心がカピトリーノの丘だった。つまり、上の画像に見えているのは、ローマでも重要な一画というわけだ。
カピトリーノの丘にあるタブラリウム(公文書館)まずはフォロ・ロマーノ、いやローマの中心カピトリーノの丘にある市庁舎が下の画像なんだ。
そのローマの市庁舎の下半分が古代のタブラリウム(公文書館)なんだ。紀元前78年に建てられたこのタブラリウム(公文書館)は、古代ローマの公文書を保管し、役所としての機能もあったらしい。このカピトリーノの丘には、タブラリウム(公文書館)の他にも、ローマの神々の中でも最高位にあったユピテル(ジュピター)の神殿もあったんだそうな。
紀元前4世紀前半のことなんだけど、このカピトリーノの丘に古代ローマの人々が籠城したことがあった。ケルト系ガリア人がローマを略奪した時のことなんだけど、古代ローマがヨーロッパと地中海を制覇するのはまだ先のことだったんだね。
フォロ・ロマーノにあるウェスパシアヌスとティトゥスの神殿跡もう一度上の画像を見てもらいたいんだけど、左手に3本の円柱が立っているよね。これが実はウェスパシアヌスとティトゥスの神殿の遺構なんだそうな。西暦79年に着工したこの神殿は、古代ローマ帝国の皇帝ウェスパシアヌスとティトゥスを神として祀っている。皇帝ウェスパシアヌスの息子で西暦70年にエルサレムを攻略したティトゥスは、西暦79年に帝位を継承している。その年、イタリア南部の街ナポリの南にあるヴェスヴィオ火山の噴火によりポンペイが壊滅している。その翌年にはローマが大規模な火災によって甚大な被害を被っている。そんな不運な皇帝ティトゥスが亡くなったのは西暦81年のことだった。 そして西暦87年にこの神殿がティトゥスの弟の皇帝ドミティアヌスによって完成している。ちなみに、皇帝ドミティアヌスはガリア(フランス)にブドウ栽培の半減を命じた人物なんだそうな。古代ローマ帝国の中枢であるイタリアでのワイン生産を保護するためだった。 ところで、このウェスパシアヌスとティトゥスの神殿なんだけど、3世紀初頭には皇帝セプティミウス・セウェルスやカラカラ帝によって修復されている。それでも、今では神殿の大部分が失われ、残っているのは上の画像にある3本の円柱など一部に過ぎないんだ。
フォロ・ロマーノにあるフォカスの記念柱フォロ・ロマーノの中、ウェスパシアヌスとティトゥスの神殿の近くに立っているのが、下の画像にあるフォカスの記念柱だね。
フォカスというのは、東ローマ帝国・ビザンティン帝国の皇帝なんだけど、西暦608年にローマ教皇ボニファティウス4世に寄進をしたらしい。それを記念するために上の画像の円柱の上に皇帝フォカスの像を立てた。故にフォカスの記念柱と呼ばれている。
All rights reserved このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。 このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。
|