東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「カンパーニャとローマ・ヴァティカン」(イタリア)

第四部 ローマ・ヴァティカン編

D49. 双子神(カストルとポルックス)の神殿跡

双子神(カストルとポルックス)の神殿跡

ローマのフォロ・ロマーノの中央部に美しい白い3本の円柱が立っている。それが下の画像にある双子神の神殿跡(あるいはカストルとポルックスの神殿跡)なんだ。

イタリアの首都ローマのフォロ・ロマーノにある双子神(カストルとポルックス)の神殿跡

古代ローマにこの双子神(カストルとポルックス)の神殿が完成したのは、紀元前484年のことだった。この神殿は古代ローマの元老院の議場だったこともあるんだそうな。その後もこの神殿は拡張され、修復されたらしい。

ところが、紀元前14年にフォロ・ロマーノを包み込んだ大火災によって、この双子神(カストルとポルックス)の神殿も焼け落ちてしまったらしい。そして紀元前6年には古代ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスがこの神殿の再建を始めている。上の画像に見える美しい3本の柱は、この再建の際にパロス島から運ばれてきた大理石で出来ているらしいよ。(但し、神殿が完成したのは次の皇帝ティベリウスの時代だった。)

ついでながら、狂気の独裁者ともされる第3代皇帝カリグラは、自らを神格化し、この双子神の神殿で人々を前に神を演じたんだそうな。間もなくカリグラは親衛隊の将校たちによって暗殺されるんだけどね。

古代ローマの戦いと双子神(カストルとポルックス)

この双子神(カストルとポルックス)はゼウス神(あるいはジュピター神)の息子たちとされているんだけど、何故に古代ローマのフォロ・ロマーノに神殿が建立されたのか。実は古代ローマの成立に関係しているんだ。

紀元前616年から古代ローマはエトルリア人の王によって支配されていた。そして紀元前535年、エトルリア人を祖先に持つ古代ローマの王タルクィニウス・スペルブスが即位したんだ。(余談ながら、フォロ・ロマーノのサトゥルヌス神殿を建立したのはこの王だったとも言われている。)

ところが、この古代ローマの王タルクィニウス・スペルブスは外に対しては戦争を続け、内においては独裁的にふるまったそうな。やがて反乱が起こり、紀元前509年に古代ローマの王タルクィニウス・スペルブスが追放されたんだそうな。

でも、タルクィニウス・スペルブスも大人しく引き下がってはいない。彼自身もエトルリア人の子孫だったんだけど、同じエトルリア人の都市の支援を得て、古代ローマに攻め込んできた。

そんなタルクィニウス・スペルブスの軍を迎え撃った古代ローマの人々。そこへ馬を駆る援軍が現れた。それが双子神(カストルとポルックス)だった。そんなわけで、古代ローマの人々はフォロ・ロマーノに双子神(カストルとポルックス)の神殿を建立したんだそうな。

余談ながら、この双子神、カストルとポルックスは後に天に昇っていった。その二人の姿が双子座になったとか。

アントニヌス・ピウスとファウスティナの神殿跡

トラヤヌスのフォロのページで古代ローマ帝国の五賢帝のことを書いたけれども、その一人である皇帝アントニヌス・ピウスの后ファウスティーナが西暦141年に亡くなった。皇帝は后の為に神殿を建てたんだそうな。

それから20年が経った西暦161年、皇帝アントニヌス・ピウスが亡くなった。彼の遺骸は皇后ファウスティーナの為に建てられた神殿に葬られた。その後、その神殿(下の画像)はアントニヌス・ピウスとファウスティナの神殿と呼ばれるようになったわけだ。

イタリアの首都ローマのフォロ・ロマーノにあるアントニヌス・ピウスとファウスティナの神殿跡

でも、それから数百年が経った11世紀のこと。アントニヌス・ピウスとファウスティナの神殿は、キリスト教の教会(サン・ロレンツォ・イン・ミランダ教会)に転用されてしまった。その結果、上の画像に見えるように古代の円柱と教会とが融合したユニークな建築物が出来上がったというわけだ。とはいえ、キリスト教の教会とされた結果、今まで残っているのかも。

近世ローマの発展とフォロ・ロマーノの古代遺跡

西暦476年、西ローマ帝国が滅亡した。その後のイタリアは東ゴート族などゲルマン系の諸族の蹂躙するところとなってしまった。古代ローマの中心だったフォロ・ロマーノの賑わいは忘れ去られ、かつての神殿や宮殿は流れ込む土砂に次第に埋もれていった。やがてフォロ・ロマーノは牧草地になっていたらしい。

ところが、やがてイタリアにはルネサンスの文化が花開き、人々は古典に目を向け始めた。やがて人々は古代の彫刻や建築を範として新しいローマを築くわけだ。そして西暦1506年、ローマ教皇ユリウス2世がヴァティカンにサン・ピエトロ大聖堂の建築を始めた。

建築ブームとなったローマでは大理石などの石材が不足した。そしてフォロ・ロマーノの古代遺跡から大量の資材が持ち去られたわけだ。古代ローマ帝国の皇帝が設けたフォロ(公共の広場)に敷き詰められていた美しい大理石も消えていったそうな。

そんなわけで、アントニヌス・ピウスとファウスティナの神殿は、教会とされたからこそ、今まで破壊を免れたと言えるのかもしれないね。奇妙な形の建築物になってしまったとはいえ ・・・ 。


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