東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「マルタ 聖ヨハネ騎士団の島」

11. スリー・シティーズの城壁(マルタ)

ヴィットリオーザのパブでお昼

聖アンジェロ城砦を出て、聖ローレンス教会の近くにある海事博物館に向かう。でも、博物館は閉まっていた。何か式典をやっているみたい。博物館は諦めてお昼にしよう。ちょうど12時だ。

ヴィットリオーザ(旧ビルグ)の街を歩いて見つけ出したのが、オールド・シティ・パブという名前のパブ。その中の様子が下の画像なんだけど、地元の人々がビールを飲みながらくつろいでいる。お巡りさんもお昼休み中みたい。ビールは飲んでいなかった ・・・ と思うよ。

ヴィットリオーザ(旧ビルグ)のパブでお昼(マルタ共和国)

店のカウンターで料理は何ができるのかと尋ねてみた。まるでロンドンの由緒あるパブのような店の名前からして、ひょっとして私の大好きなイングリッシュ・ブレックファストがあるのかも ・・・ という私の期待は空振り。そんなものは見当たらなかったよ。

選んだのは、マルタ名物のタコのスパゲティとビール。が、やがて登場してきたタコのスパゲティは残念な料理だった。アルデンテとはほど遠く、お年寄りのイギリス人が好きそうなフニャフニャのパスタ。昨夜のホテルのタコのスパゲティの方がはるかに美味かったな。でも、このパブで飲んだCISKという地元のビールは美味かった。気温が高くて空気が乾燥しているということもあるんだけどね。

ヴィットリオーザの城壁

お昼を食べて歩き始める。向かったのは聖ローレンス教会。要塞都市ヴァレッタの中に建設された聖ヨハネ大聖堂の完成までは、聖ヨハネ騎士団の騎士たちにとって最も重要な教会だった。ところが、その教会の扉は閉ざされている。ま、また来るとしよう。

ヴィットリオーザ(旧ビルグ)の陸側の城壁(マルタ共和国)

更に歩き続け、ヴィットリオーザ(旧ビルグ)の街の出口付近で見かけたのが、上の画像にある城壁。ヴィットリオーザ(旧ビルグ)の街の陸側の守りを固めた城壁だね。(ヴィットリオーザのある半島の先端の守りを固めたのが、さっき歩いた聖アンジェロ城砦だった。)

騎士団長ヴァレッテが死守したヴィットリオーザの城壁

西暦1565年8月、マルタ島に上陸したオスマン・トルコ軍によって、既に聖エルモ城砦は2ヶ月前に陥落していた。オスマン・トルコ軍は聖ヨハネ騎士団が守りを固めるスリー・シティーズの攻略に注力していた。

8月18日、オスマン・トルコ軍の仕掛けた地雷によって、ヴィットリオーザ(旧ビルグ)の陸側の城壁が爆破され、その一部が崩壊してしまった。そこにトルコ兵が殺到する。守備側は混乱し、守りを立て直すことができない。教会の鐘が鳴り響き、危機を告げていた。

聖ヨハネ騎士団の騎士団長ヴァレッテは、護衛の兵士の槍をつかみ、城壁に駆けつけた。殺到するトルコ兵と切り結ぶ騎士団長ヴァレッテ。その近くで砲弾が炸裂し、騎士団長は足に傷を負った。安全な場所に退くようにと勧める周囲の人々。しかし、年老いた騎士団長は退くことを拒否。「この年齢で、友や兄弟たちに囲まれて、神のために死ぬことが出来るのは、最高の栄誉だ」。

やがて城壁からトルコ兵が駆逐され、そこに掲げられていたトルコ軍旗が引き下ろされた。その日、やはり騎士団の騎士となっていたヴァレッテの甥が戦死している。激しい戦いの一日。多くの犠牲を出し、かろうじて聖ヨハネ騎士団は危機を乗り切ることができた。

セングレアの守りを固める聖ミカエル城砦

そんなヴィットリオーザ(旧ビルグ)の城壁の近くから眺めたのが、セングレア(旧リースラ)の聖ミカエル城砦の城門(下の画像)だった。

ヴィットリオーザ(旧ビルグ)から眺めたセングレア(旧リースラ)の聖ミカエル城砦の城門(マルタ共和国)

騎士団長ヴァレッテの奮闘によってヴィットリオーザ(旧ビルグ)の危機を脱した二日後の8月20日、8千人に達するトルコ軍の大部隊が聖ミカエル城砦に攻め寄せた。ところが、豪華な衣装をまとって部隊の先頭に立っていたトルコ軍の指揮官は守備側の聖ヨハネ騎士団の狙撃兵の標的となり、銃撃を受けて戦死。

その遺骸を運び去ろうとするトルコ軍兵士の集団に向かって、一人の騎士が無謀にも飛び込んでいった。彼の名はフアン・デ・ラ・ケルダ。聖エルモ城砦がオスマン・トルコ軍の猛攻を受けていた時、城砦防衛が不可能であることを主張し、騎士団の将兵を聖エルモ城砦から収容することを提案した人物だった。その提案以来、彼は臆病者との嘲りを受けていた。

敵の指揮官の遺骸を運び去る兵士たちに向かって一人で突入した彼を、オスマン・トルコ軍の精鋭イェニチェリ兵たちが切り刻む。無残な死を以て騎士フアンは名誉を回復した。その舞台がこの聖ミカエル城砦だった。


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