東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「マルタ 聖ヨハネ騎士団の島」

25. ヴィットリオーザ散策(マルタ島)

ヴィットリオーザ(旧ビルグ)に残る騎士たちのオーベルジュ

聖ヨハネ騎士団ゆかりの聖ローレンス教会を見て、更にヴィットリオーザ(旧ビルグ)の街を歩く。そのあちこちに騎士団ゆかりの建物が残っているんだ。

ヴィットリオーザ(旧ビルグ)に残る聖ヨハネ騎士団のフランスの騎士たちのオーベルジュ(マルタ共和国)

例えば、上の画像はヴィットリオーザの路地に残るフランス出身の騎士たちの館(オーベルジュ)。西暦1530年に皇帝カール5世からマルタ島を与えられた聖ヨハネ騎士団は、このヴィットリオーザを中心とするスリー・シティーズを本拠地とした。というわけで、騎士団に所属する騎士たちは、その出身地域毎にここに館(オーベルジュ)を建てている。

但し、西暦1565年のオスマン・トルコの大軍によるマルタ島攻囲(グレート・シージ)の翌年から新しい要塞都市ヴァレッタの建設が始まると、騎士たちのグループ(「ラング」と呼ばれる)の館はそちらに移ったんだけどね。

例えばヴァレッタにある今のマルタ共和国の首相官邸は、かつてはポルトガルとカスティーリャの騎士たちの館だった。また大統領府および国会議事堂として使われている騎士団長宮殿は、元々はヴァレッタにおけるイタリアの騎士たちの館だったそうな。

ヴィットリオーザに残るガレー船の船長たちの宿舎

ヴィットリオーザの海辺の通りには、聖ヨハネ騎士団のガレー船の船長たちの宿舎として使われていた建物も残っている。それが下の画像の右手の建物なんだ。(その奥、左手に見えているのは聖アンジェロ城砦。)

ヴィットリオーザ(旧ビルグ)に残る聖ヨハネ騎士団のガレー船の船長たちの宿舎(マルタ共和国)

西暦1565年のオスマン・トルコ軍によるマルタ島攻囲の際の聖ヨハネ騎士団の騎士団長だったジャン・ド・ヴァレッテも、かつてはガレー船の船長だった。彼も上の画像の宿舎に滞在していたかもしれないね。

西暦1541年のことなんだけど、彼のガレー船がオスマン・トルコ艦隊との戦いにおいて捕えられ、捕虜となった彼はガレー船の奴隷にされてしまった。やがて捕虜交換によって解放された彼は聖ヨハネ騎士団のガレー船団の司令官になったんだけどね。

ちなみに、ジャン・ド・ヴァレッテを奴隷として働かせたガレー船の指揮官が海賊ドラグート(トゥルグト・レイス)だった。彼は西暦1551年のマルタ島・ゴゾ島上陸に参加したのみならず、西暦1565年のマルタ島攻囲にも指揮官の一人として参加し、砲弾の破片によって戦死している。海賊ドラグートと騎士団長ジャン・ド・ヴァレッテとは因縁によって結ばれていたんだ。

地中海の十字路とも言われるマルタ島を本拠とする聖ヨハネ騎士団のガレー船団は、イスラム教徒の船やオスマン・トルコの艦隊にとってとってもやっかいな存在だった。故に大軍を以てマルタ島攻囲に踏み切ったわけだ。そして西暦1571年にオスマン・トルコ艦隊が敗れたレパントの海戦にも聖ヨハネ騎士団はガレー船団を派遣している。

ヴィットリオーザの先端にある聖アンジェロ城砦

上の画像の左端にも見えているんだけど、ヴィットリオーザの先端には聖アンジェロ城砦がある。その聖アンジェロ城砦とヴィットリオーザの街の間にある堀の様子が堀下の画像なんだ。

ヴィットリオーザ(旧ビルグ)の街と聖アンジェロ城砦の間の堀(マルタ共和国)

今のマルタ共和国の首都となっている要塞都市ヴァレッテの建設まで、この聖アンジェロ城砦は聖ヨハネ騎士団の最後の砦だった。というわけで、上の画像に見えるように、守りを固めていたわけだ。といっても、上に画像に見える堀は後に再建・増強されたものだろうけどね。

ヴィクトリー広場にある聖ジョセフ教会

そろそろ時間かな。今日の午後にはロンドンに向かう飛行機に乗ることになっている。バスに乗ってヴァレッタに戻らないとね。というわけで、ヴィットリオーザ近くのバス停に向かう途中、ヴィクトリー広場で見た聖ジョセフ教会(あるいは聖ヨゼフ教会)が下の画像。

ヴィットリオーザ(旧ビルグ)に残る聖ヨハネ騎士団ゆかりの聖ジョセフ教会(マルタ共和国)

聖ヨハネ騎士団がマルタ島に移る前、西暦1500年頃に建立された教会なんだそうな。でも、この聖ジョセフ教会は聖ヨハネ騎士団と浅から縁がある。教会の扉の上に騎士団の八角十字があることでもわかるよね。

西暦1565年に上陸してきたオスマン・トルコ軍を撤退させた後、騎士団長ヴァレッテは聖母マリアに感謝する為に剣や帽子をこの教会に寄進したそうな。その他にも騎士団ゆかりの品々が教会に残されている。が、上の画像にも見えるように、教会の扉は固く閉ざされていたよ。

再びバス停に向かう。その途中で見かけた店で気に入りのマルタのビール CISK を買った。これは何と読むのかと店のマダムに尋ねると、シスクでもチスクでもキスクでも何でも良いとの答。各国の観光客が様々な読み方で買っていくらしい。

歩きながらビールを飲み、バス停のゴミ箱にビール瓶を放り込んだ。それをみていた初老の女性がすかさずビール瓶を拾った。空き瓶を業者に渡せば、なにがしかのお金になるみたい。そういえばバス・ターミナルで休憩中の運転手たちもゴミ箱の中から空き瓶を拾っていたね。


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