ヴィットリオーザ(旧ビルグ)に到着今朝は6時に目が覚めた。旅の4日目、短い旅の最終日だ。せめて午前中だけでも観光を楽しもう。というわけで、8時にはヴァレッタのバス・ターミナルでバスに乗り込む。やがてバスに乗り込んできたジーンズの若い男が乗客のチケットを受け取り、少し破いては返し始めた。なるほど、これがガイド・ブックで読んだ検札なんだな。8時半にはスリー・シティーズの一角にあるヴィットリオーザ(旧ビルグ)の街に到着。一昨日もこの街に来て、聖アンジェロ城砦などを歩いたんだけど、他にも色々と訪ねたい場所がある。というわけで今日もバスに乗ってやって来たわけだ。 そんなヴィットリオーザの街の一角にあるヴィクトリー広場の様子が下の画像。西暦1565年のオスマン・トルコ軍によるマルタ攻囲(グレート・シージ)において聖ヨハネ騎士団が勝利を得たことを記念するメモリアルのある広場なんだ。
そんなヴィクトリー広場のちょいと向こうに私の目指す聖ローレンス教会がある。上の画像に見えている赤いクーポラのある建物がそれなんだ。元々は西暦1508年に建立された教会だったそうな。但し、西暦1693年の大地震で破壊され、西暦1697年から再建されている。その責任者は古都イムディナの聖パウロ大聖堂を再建したロレンツォ・ガファだった。
勝利を祝って鳴り響いた聖ローレンス教会の鐘西暦1565年9月8日、このヴィットリオーザ(旧ビルグ)の聖ローレンス教会の鐘が鳴り響いたことがあった。(下の画像は今の教会の鐘塔。)
その前日の9月7日、スペインのシシリア副王の1万の兵力の援軍がマルタ島に上陸した。聖ヨハネ騎士団の騎士団長ジャン・ヴァレッテは騎士たちに策を与えた。騎士たちは「更に1万6千の援軍が上陸中だ」との情報を流す。それもイスラム教徒の奴隷たちの聞こえる場所で ・・・ 。その上でその奴隷を脱走させる。やがて騎士たちが流した情報はオスマン・トルコ軍の指揮官の耳に入るはず。
聖ローレンス教会の中によけいな話がとっても長くなってしまった。ともかく、お目当ての聖ローレンス教会の中に入ろう。ところが、一昨日に続いて今日も教会の扉は閉ざされている。困ったな。どうするかな。そこへ太った初老の女性が現れ、小さな木戸を開いて中に入ろうとする。私と目が合った彼女は私を招き入れてくれたんだ。(下の画像が後で撮影した聖ローレンス教会の内部。)
中に入ると、礼拝が行われている。まずい ・・・ と思ったけど、これも神様のお導きだよね。黙って目立たない席に座り、礼拝の様子を見守る。20人ほどの人々が神父様のお話に耳を傾ける。続いて信徒代表のお話。寄付(お布施かな)の為のカゴがまわってくる。私もコインを入れたよ。
聖ローレンス教会で見た騎士たちの墓碑西暦1530年に皇帝カール5世からマルタ島を与えられた聖ヨハネ騎士団は、スリー・シティーズに本拠を置いた。その中でもこのヴィットリオーザ(旧ビルグ)が中心だった。そんなわけで、この聖ローレンス教会も騎士団にとって縁の深い教会となったらしい。
聖ローレンス教会の中には聖ヨハネ騎士団の騎士たちの墓碑も残されている。例えば上の画像はイギリス出身のサー・ニコラス・アプトンの墓碑。彼は西暦1551年に名高い海賊ドラグート(トゥグルト・レイス)がオスマン・トルコ軍部隊を率いてマルタ島に上陸した時の戦いで戦死したらしい。
All rights reserved このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。 このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。
|