東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「アンダルシアの古都めぐり(スペイン)」

セビリア、コルドバ、グラナダを見て歩いた旅

04. セビリアの大聖堂

セビリアの大聖堂

ヒラルダの塔を降りたら、次はセビリアの大聖堂に入る。ナランハの庭(オレンジの庭)から眺めたセビリア大聖堂の屋根の様子が下の画像。

スペイン南部アンダルシア地方の古都セビリアの大聖堂の屋根をナランハの庭から眺めた

世界遺産ともなっているセビリア大聖堂なんだけど、世界最大のゴシック様式の大聖堂であり、教会としては世界で3番目に大きな建物とされている。(但し、スペインの古都トレドの大聖堂の方が大きく、そちらが3番目だという説もあるらしい。)

ゴシック様式で建てられたセビリア大聖堂

イスラム教徒支配下のアンダルシア地方でも最も大きな街だったセビリアは、西暦1248年にカスティーリャ王フェルナンド3世(先にコルドバを攻略したレコンキスタの英雄)によって征服された。その後、イスラム教徒のモスクがキリスト教の教会とされたらしい。

ところが西暦1356年の地震によりその教会がひどく壊れたらしい。よって西暦1401年に教会の建て替えが決まったんだそうな。その翌年に建設が始まり、工事が終わったのは西暦1506年のことだった。(イタリアの首都ローマサン・ピエトロ大聖堂の建設工事が始まった年。)

スペイン南部アンダルシア地方の古都セビリアの大聖堂の内部とパイプオルガン

このセビリア大聖堂はゴシック様式の建物なんだそうな。パリ郊外のサン・ドニ大聖堂に続いて、シャルトル大聖堂ノートルダム大聖堂など、ゴシック様式の建物の時代だったからね。(上の画像はセビリア大聖堂の内部とパイプ・オルガン。)

二度も崩れたセビリア大聖堂の丸屋根と装飾

16世紀初頭に完成したセビリア大聖堂だったけれども、その数年後の西暦1511年には丸屋根が崩れてしまったんだそうな。そして西暦1888年には再び丸屋根が崩れている。その修復工事は西暦1903年までかかったんだそうな。

スペイン南部アンダルシア地方の古都セビリアの大聖堂の黄金の木製祭壇

このセビリア大聖堂の内部は、ふんだんに使われた金箔などで装飾されている。その中でも特筆すべきは、上の画像にある黄金の祭壇かな。木製の彫刻に金箔などを貼り付けたものみたいだけどね。

セビリア大聖堂にあるコロンブスの墓

このセビリア大聖堂の中で見落としちゃいけないのが、新大陸を発見したコロンブスの墓(下の画像)だね。西暦1506年に亡くなったコロンブスは、ここに葬られたんだそうな。ずいぶんと立派なお墓だけど、コロンブスや彼に続くピサロなどのおかげで、新大陸との貿易の拠点となったセビリアは繁栄したわけだから当然といえば当然かな。

スペイン南部アンダルシア地方の古都セビリアにあるコロンブスの墓

ちなみに、コロンブスの棺を支えているのは、四つの王国の騎士たちなんだそうな。左端のお城の紋章はカスティーリャ王国の騎士。中央のライオンの紋章はレオン王国。その後方にはナバラ王国。そしてアラゴン王国の騎士は見えていないんだ。

こんな立派なお墓に葬られたコロンブスとは対照的にセビリア大聖堂から破門された人物もいる。それが小説「ドン・キホーテ」の作家セルヴァンテスだった。彼はレパントの海戦で負傷した後、スペイン海軍の食糧調達の仕事をしたことがあるんだけど、セビリア大聖堂の倉庫の食糧も徴収しちゃったらしい。それで破門されたんだそうな。


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