サント・トメ教会で画家エル・グレコの絵「オルガス伯爵の埋葬」古都トレドを見下ろすパラドールの部屋でぐっすりと眠り、アラームに起こされたのが7時だった。まずはジャグジーの風呂に使って眼を覚ます。8時からはパラドールのレストランで朝食だ。様々な料理が並び、どれも美味しくて満足。特にスイカは絶品だった。でも、ロンドンのパブのイングリッシュ・ブレックファストもちょいとだけ恋しいけどね。パラドールからバスに乗って出発し、9時半には古都トレドの街を歩き始めた。レコンキスタ(国土回復運動)によってキリスト教徒がトレドの街を奪還した後も、ここにはイスラム教徒が住んでいた。トレドの街のあちこちにある唐草模様はそんなイスラム教徒が残したものかもしれないね。 西暦1561年にハプスブルク家のスペイン王フェリペ2世は首都をトレドからマドリッドに移している。そのおかげで古都トレドには中世の街並みが残されているらしい。 そんな古都トレドを歩き、到着したのがサント・トメ教会。下の画像はそのサント・トメ教会の入り口なんだけど、柱に表示してあるように、この教会では画家エル・グレコの絵「オルガス伯爵の埋葬」を見ることができる。
西暦1085年、イスラム教徒からカスティーリャ王アルフォンソ6世が古都トレドを奪還した。そのアルフォンソ6世がモスクを教会に変えたのが、このサント・トメ教会だった。でも、14世紀にはサント・トメ教会は崩壊寸前の状況になっていた。それを再建したのがオルガス伯爵ゴンサロ・ルイス・デ・トレドだった。
トレド大聖堂と画家エル・グレコ西暦1541年にギリシャのクレタ島で生まれたエル・グレコは、西暦1567年頃にイタリアのヴェネツィアに移ったらしい。その後、西暦1576年にはローマにいたんだそうな。その翌年にはスペインの首都となったマドリッドにいた。古都トレドに移ったのは、その後と考えられている。そんな画家エル・グレコは西暦1614年にトレドで亡くなっている。つまり、このトレドで30年以上も暮らしたわけだ。そんなわけで、上に書いたサント・トメ教会の他にも、トレドの街のあちこちでエル・グレコの絵を見ることができるんだ。例えば今は美術館となっているタベラ病院、サンタ・クルス美術館、そしてエル・グレコの家など。
そしてトレド大聖堂(正しくはサンタ・マリア・デ・トレド大聖堂)には、エル・グレコの絵「征衣剥奪」「十二使徒」がある。(そのトレド大聖堂の塔を見上げたのが上の画像。)
スペインのカトリックの中心 トレド大聖堂西暦1085年にキリスト教徒が古都トレドをイスラム教徒から奪い返した時、今のトレド大聖堂のある場所には、イスラム教徒のモスクがあった。トレドのイスラム教徒が降伏した際、カスティーリャ王アルフォンソ6世はイスラム教徒のモスクを維持することを約束したらしい。ところが、西暦1087年にアルフォンソ6世の不在の機会にトレド大司教と王妃が兵士を送り込み、モスクを占領してキリスト教の教会にしてしまった。そして西暦1088年、ローマ教皇ウルバヌス2世は、この教会をスペイン王国の首座の教会としたんだそうな。
モスクを改装した教会は13世紀まであったんだそうな。でも、西暦1224年に新しい聖堂の建築が始まり、西暦1493年に完成した。それが古都トレドに今も残るトレド大聖堂なんだ。
トレドのレストランで昼食お昼前にバスに戻る。石畳の坂道が続く古都トレド旧市街を歩き続け、膝がガタガタになっちゃったよ。間もなくバスはトレド市外のレストランの前で停車。ここでお昼を食べようというわけだ。前菜はニンジン、豆、アスパラガスの煮物だった。続いてメインは鶏肉。そして飲み物は昨夜と同じラ・マンチャ地方の赤ワイン。
お昼を食べ終えて店を出ようとしたところで撮影したのが上の画像。トレド名物の子豚の丸焼きなんだそうな。どうせならば、このトレドの名物料理を食べてみたかったね。子豚一匹で数人分の量なんだそうな。
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