東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「春のスペイン」

トレド、マドリッド、セゴビアを周り、歴史とバルと闘牛を楽しんだ

07. マドリッドの王宮とマヨール広場

マドリッドの王宮

続いてやって来たのはマドリッドの王宮(下の画像)だった。この王宮を築いたのは、スペイン王フェリペ5世だった。彼はフランス王ルイ14世太陽王の孫(フランスの首都パリの郊外にあるヴェルサイユ宮殿で生まれた)であり、ブルボン家の初代スペイン王だった。彼のスペイン王即位のおかげで、ヨーロッパ全体を巻き込むスペイン継承戦争が起こったわけだ。

スペインの首都マドリッドにある王宮

そんなブルボン家のスペイン王フェリペ5世が即位した時、ここには古いアルカサル(城館)があったらしい。15世紀の戦争で損傷を受けていたアルカサルを、ハプスブルク家の神聖ローマ帝国皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)が修復したんだそうな。

その後、スペイン王フェリペ2世は西暦1561年にスペインの首都を古都トレドからこのマドリッドに移したんだけど、彼もここにあったアルカサルを王宮にふさわしく改装したらしい。ちなみに、西暦1585年にイタリアのローマで教皇に拝謁した日本の天正遣欧少年使節は、ポルトガルに上陸した後、ここでフェリペ2世に拝謁している。その後、ヴァレンシアから船に乗り、マヨルカ島を経て、イタリアへ向かったんだ。

西暦1700年に即位したブルボン家初代のスペイン王フェリペ5世は、そんなアルカサルに入ったわけだ。ところが、西暦1734年にアルカサルが火災で燃え落ちてしまった。その火災では、ベラスケスなどの絵なども焼失しちゃったらしい。昨日プラド美術館で見たベラスケスの「女官たち(ラス・メニナス)」は、窓から外へ放り投げられて焼失を免れたんだそうな。

そして西暦1738年、スペイン王フェリペ5世の命により、アルカサルの跡地で王宮の建設が始まった。但し、この王宮が完成したのは、王の死後の西暦1755年だった。それがここに見るマドリッドの王宮なんだそうな。

現在のスペイン国王フアン・カルロス1世の公式の王宮はこの建物とされている。でも、実際にはフアン・カルロス1世はマドリッド郊外にある小さな宮殿に住んでいるんだそうな。ちなみに、スペイン王フアン・カルロス1世は、ブルボン家のスペイン王フェリペ5世の子孫に当たる。ということはフランス王ルイ14世太陽王の子孫でもあるわけだね。

その後、西暦2014年6月にフアン・カルロス1世は退位し、新たなスペイン国王としてフェリペ6世が即位している。でも、王制廃止を求めてデモを行ったスペイン国民もいたんだ。カタルーニャ地方の独立問題に加え、王制維持は引き続きスペインで議論され続けていくんだろうな。

マドリッドの王宮とフェリペ4世騎馬像

マドリッドの王宮の東には、オリエンテ広場がある。その広場の中央に立つのが、スペイン王フェリペ4世の騎馬像なんだ。下の画像がその騎馬像なんだけど、奥に見えているのが王宮だね。

スペインの首都マドリッドにある王宮とオリエンテ広場に立つフェリペ4世騎馬像

このスペイン王フェリペ4世の最大の功績は、ベラスケスを宮廷画家に採用したことかな。そのおかげでプラド美術館には多くのベラスケスの絵が展示されているわけだ。アルカサルの火災が無ければ、もっと多くの絵があったんだろうね。

またフェリペ4世の王女マリア・テレサはフランス王ルイ14世太陽王に嫁いでいる。その婚礼の準備にもベラスケスを関与させたらしい。ちなみに、そのスペイン王女マリア・テレサの血をひくおかげで、ルイ14世太陽王の孫であるブルボン家のフェリペ5世はスペイン王に即位できたわけだね。

でも、このスペイン王フェリペ4世の時代はかつて陽の沈むことの無かった帝国スペインの斜陽の時代だった。フェリペ2世の代から支配下にあったポルトガルは独立し、バルセロナを中心とするカタルーニャは反乱を起こし、三十年戦争では敗北し、ウェストファリア条約ではオランダの独立が公式に認められたんだ。

オリエンテ広場の王たちの像

そんなスペイン王フェリペ4世の騎馬像の立つオリエンテ広場の周囲には、昔の西ゴート王国やスペインの王や女王たちの像が並んでいる。これらの像はマドリッドの王宮が建てられた18世紀半ばのものなんだそうな。かつては44体の像があったんだけど、今は20体に減らされているらしい。

スペインの首都マドリッドにある王宮の脇のオリエンテ広場に立つレオンとカスティーリャの王フェルナンド1世と王妃サンチャの像

上の画像はそんな王たちの像の中の2体なんだけど、右側はカスティーリャとレオンの王フェルナンド1世、左側はその王妃サンチャの像なんだ。このフェルナンド1世はスペインのレコンキスタ(国土回復運動)初期の英雄だった。

レオンとカスティーリャの王となった彼は、トレドやヴァレンシアのイスラム教徒のタイファ(小王国)を撃ち破り、西暦1056年にはスペインの皇帝を称している。また彼の死後にカスティーリャ王となった息子のアルフォンソ6世は、西暦1085年に古都トレドやマドリッドをイスラム教徒の支配から奪還している。

マヨール広場とフェリペ3世騎馬像

続いてやって来たのはマヨール広場。マドリッドにスペインの首都を移したフェリペ2世は、西暦1580年にこの広場の改造を命じたらしい。ところが、実際に広場の改造が始まったのは西暦1617年のことだった。その当時のスペイン王が、フェリペ3世だった。下の画像はマヨール広場を取り囲む建物と広場の中央に立つフェリペ3世の騎馬像なんだ。

スペインの首都マドリッドにあるマヨール広場に立つフェリペ3世騎馬像

スペイン王フェリペ3世は、ハプスブルク家の皇帝カール5世の孫、スペイン王フェリペ2世の息子、そしてフェリペ4世の父親にあたる。スペイン王にしてポルトガル王でもあった。

そのフェリペ3世の支配するスペインでは、西暦1609年にモリスコ(キリスト教に改宗したイスラム教徒)が追放されたらしい。その結果、スペインの農業は大幅に衰え、食糧不足が起こったんだそうな。彼の息子のフェリペ4世時代にスペインは急速に衰退していくけれども、フェリペ3世の時代にも既に衰退は始まっていたということかな。


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