東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
春のブルガリア
東欧(1997年5月)
ブルガリアの歴史
03. 第一次ブルガリア帝国の成立
- 680年、アスパルフ汗を指導者とする原ブルガル(ボルガル)族が、北進してきたビザンチン帝国の遠征軍を打ち破った。
- 681年、第一次ブルガリア帝国が成立。原ブルガル(ボルガル)族が、複数のスラヴ諸族連合を緩やかに支配下におく連合国家だった。
しかし、少数に過ぎなかったトルコ系の原ブルガル(ボルガル)族は、多数派だったスラヴ系住民と同化し、次第にスラヴ化していった。
- 708年、ブルガリア帝国との協定を破棄したビザンチン帝国がブルガリアに侵攻したが敗北。
- 711年、劣勢に立ったビザンチン帝国にブルガリア帝国軍が侵入。
- 716年、再び侵攻してきたブルガリア帝国に対し、ビザンチン帝国が和議を結んだ。ビザンチン帝国はブルガリア帝国に対して貢納の義務を負った。
- 717-718年、ビザンチン帝国の首都コンスタンティノープルをイスラム教徒が攻囲した。
しかし、ブルガリア帝国の軍がビザンチン帝国の救援に派遣され、イスラム教徒軍は攻囲を解いた。
下の画像は現在のイスタンブール(トルコ)に残る城壁。ビザンチン帝国時代の西暦413年に完成した。
- 755年、勢力を回復したビザンチン帝国は、ブルガリア帝国との協定を破棄し、貢納を拒否。繰り返し軍をブルガリアに派遣したが、成果を得ることは出来なかった。
他方、ブルガリア帝国内部では貴族間の争いが続き、ビザンチン帝国に対して攻勢をかけることが出来なかった。
- 789年、内部の争いを克服したブルガリア帝国がビザンチン帝国に対して攻勢をかけた。
- 792年、ブルガリア帝国軍は、コンスタンティノス6世指揮下のビザンチン帝国軍に大勝した。
- 796年、アヴァール族がフランク王国軍に敗れた。その機に乗じたブルガリア帝国のクルム汗は、アヴァール族の旧領に勢力を拡大した。
- 807年、ブルガリア帝国の勢力拡大に脅威を感じたビザンチン帝国が、遠征軍を派遣した。しかし、ビザンチン帝国の派遣軍部隊が反乱を起こし、遠征は失敗に終わった。
- 809年、クルム汗に率いられた第一次ブルガリア帝国の軍が、ソフィアを征服した。以後、ソフィアはスラヴ系の名前を与えられ、「スレデツ」と呼ばれた。
- 811年、ビザンチン皇帝ニケフォロス1世の率いる軍がブルガリアに侵入。当時のブルガリア帝国の首都ブリスカを攻略した。
しかし、態勢を立て直したブルガリア帝国のクリム汗は、皇帝ニケフォロス1世の軍に夜襲をかけ、ビザンチン帝国軍は壊滅。皇帝ニケフォロス1世も戦死。
- 813年、ブルガリア帝国軍がビザンチン帝国の都コンスタンティノープルを攻囲した。
- 815年、第一次ブルガリア帝国とビザンチン帝国との間に平和条約が成立した。
- 9c前、第一次ブルガリア帝国は、パンノニア(ハンガリー)平原やベオグラード方面に勢力を拡大した。
- 836年、平和条約を破棄したビザンチン帝国軍がブルガリアに侵入。しかし、ビザンチン軍を打ち破ったブルガリア帝国軍がビザンチン帝国領内に侵攻し、領土を拡大した。
- 837年、ビザンチン帝国領内のスラヴ諸族が反乱を起こした。スラヴ諸族を支援したブルガリア帝国は、トラキア方面に勢力を拡大した。
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