東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
春のブルガリア
東欧(1997年5月)
ブルガリアの歴史
04. 第一次ブルガリア帝国の全盛期
- 863-864年、大地震と飢饉に苦しんだブルガリア帝国は、ビザンチン帝国に講和を求めた。講和条約の中で、ブルガリア帝国はキリスト教への改宗の義務を負った。
- 866年、第一次ブルガリア帝国の支配者ボリス1世がキリスト教の洗礼を受けた。彼の洗礼名がミハイルだったことから、以後ボリス1世ミハイルとも呼ばれる。
しかし、キリスト教への改宗に反発するブルガリア貴族達は反乱を起こした。
- 870年、イタリアのローマに拠点を置くカトリックの教皇と正教を代表するコンスタンティノープル総大主教との対立を利用し、ブルガリア教会は大主教区と認められ、自治的な地位を獲得した。
右の画像は現在のソフィア市内にあるブルガリア大主教の宮殿。
ブルガリア教会は、以後のブルガリアの歴史において、重要な役割を果たしていく。
- 889年、ブルガリア帝国の支配者ボリス1世は、汗位を息子のヴラディミルに譲り、修道院に入った。
しかし、新支配者ヴラディミルはビザンチン帝国と離反して東フランク王国に接近し、しかもキリスト教から離れる姿勢を見せた。
- 893年、修道院に入っていたボリス1世がクーデターを起こし、もう一人の息子シメオンをブルガリア帝国の支配者とした。
- 10c初、モラヴィア出身の父を持つキリル兄弟(キュリロスとメトディオス)がビザンチン帝国の文献をスラヴ語に翻訳し、スラヴ語での布教活動を行った。
ブルガリアにおいてスラヴ語に翻訳された書物はロシアなどのスラヴ諸国に入り、スラヴ諸国に影響を与えた。その結果、第一次帝国時代のブルガリア文語は「教会スラヴ語」の基礎となった。
ちなみに、キリル兄弟が作った文字はグラゴル文字とされている。いわゆる「キリル文字」を作ったのは、キリル兄弟ではなく、兄弟の弟子でもあったオフリダのクリメントなる人物だったらしい。
なお、キリル兄弟の弟子達は、セルビアやクロアチアにおいてもキリスト教の布教活動を行っていた。
- 917年、ブルガリア帝国の支配者シメオンの軍がビザンチン帝国軍を撃破。ブルガリア帝国の別働隊はペロポネソス半島にまで侵入し、コリントにまで達した。
同年秋にはブルガリア軍はセルビアに侵攻し、セルビア公ペタル・ゴイニコヴィッチ公を捕虜とした。
- 920年、ブルガリア帝国の支配者シメオンは、ブルガリア教会の長に総主教の地位を与え、ブルガリア総主教によって「ローマ人の皇帝」と宣言された。
- 927年、ブルガリア帝国の支配者シメオン死去(同じ年にリラの僧院の建設開始)。彼の統治下に第一次ブルガリア帝国は最大の版図を獲得していた。
第一次ブルガリア帝国の全盛期を創出した 皇帝シメオン1世(大帝)
右の画像は、第一次ブルガリア帝国の全盛期を創出した皇帝シメオン1世(大帝)の肖像画。
ブルガリアの田園地帯を走る道のドライヴ・インで買ったラキのボトルに描かれていたもの。
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- 10c、聖ソフィア教会に因み、現在のソフィアが「ソフィア」と呼ばれ始めた。
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