東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「初秋のブルゴーニュ」 (フランス)

ディジョン、ジュヴレ・シャンベルタン、ボーヌ、ペルージュ、リヨン

22. リヨンのサン・ジャン大聖堂

リヨンのサン・ジャン大聖堂

続いては、フルヴィエールの丘の麓のリヨン旧市街にあるサン・ジャン大聖堂(下の画像)に入る。さっき丘の上のノートルダム・ド・フルヴィエール教会の脇のカフェの庭のテーブルから見下ろした聖堂だね。

フランス第2の都市リヨンのサン・ジャン大聖堂の正面

このサン・ジャン大聖堂(あるいは単にリヨン大聖堂)は、西暦1180年に着工され、西暦1480年に完成したんだそうな。

リヨンの支配者となったリヨン大司教の大聖堂

古代ローマ帝国が滅亡する前、このリヨンあたりはブルグント王国の領土となっていた。その後のリヨンはフランク王国の支配下に入り、やがてシャルルマーニュ(カール大帝)の死後にはロタールの王国に帰属していた。

西暦1079年にはリヨン大司教はガリア(フランス)の聖職者の首座とされ、西暦1157年には神聖ローマ帝国皇帝バルバロッサによってリヨン大司教がリヨンの支配者とされたんだ。

フランス第2の都市リヨンのサン・ジャン大聖堂のバラ窓のステンド・グラス

このサン・ジャン大聖堂は、そんな時代に建設が始められたわけだ。但し、大聖堂正面ファサードのバラ窓のステンド・グラス(上の画像)は、西暦1392年に完成したらしい。

リヨン市民が大司教に対して反乱、そしてフランス王国

そんなリヨンの支配者となった大司教に対して、まずは近郊のペルージュが抵抗したらしい。ペルージュの街は西暦1167年にはリヨン大司教の兵に対して城門を閉ざし、西暦1236年には自治の権利を勝ち取っている。

他方で、リヨン大司教の足許のリヨンの市民も西暦1240年には蜂起し、リヨンも自治都市となったんだそうな。その背後ではフランス王が市民を支援していたとも言われる。

ちなみに、当時のフランス王は聖王とも呼ばれるルイ9世(十字軍に二度も参加し、サント・シャペルシャルトル大聖堂を完成させた人物)だった。そのフランス王ルイ9世のお墓はこのリヨンのサン・ジャン大聖堂にあるとする資料もあるんだけど、そのお墓を見つけられたなかったんだ。他方でルイ9世のお墓はパリ郊外のサン・ドニ大聖堂にあったとする資料もあるんだけどね。

フランス第2の都市リヨンのサン・ジャン大聖堂の天文時計

そして西暦1312年、リヨンがフランス王国に帰属することとなった。しかし、その後のリヨンは、マルセイユに上陸したペスト(黒死病)フランスとイングランドが長く戦った百年戦争の惨禍に巻き込まれることとなったんだ。(上の画像は、その時代、つまり14世紀に作られた天文時計。サン・ジャン大聖堂のお宝の一つ。)

それでもリヨンはやがて絹の街として発展していった。西暦1420年にはフランスの王太子シャルル(やがてジャンヌ・ダルクに助けられてフランス王シャルル7世として戴冠)から市を開く許可を得ている。更に西暦1536年にはフランス王フランソワ1世から絹織物についての特許状を得たらしい。

ところが次はフランスの宗教戦争(ユグノー戦争)だ。フランス王アンリ2世の王妃だったカトリーヌ・ド・メディチの時代に激化していった宗教対立は、西暦1572年にサン・バルテルミーの虐殺を起こした。その余波が及んだリヨンでは、ローマの教皇に従うカトリックが強く、多くのユグノー(プロテスタント)が虐殺されたんだそうな。

そしてブルボン家初代フランス王アンリ4世は、元々はユグノーであったものの後にカトリックに改宗し、首都パリに入城し、やがてフランスの宗教対立を終息させている。そのアンリ4世が西暦1600年にイタリアはフィレンツェマリー・ド・メディシス(メディチ)と再婚した時、彼はこのリヨンで新婦を迎えたらしい。(アンリ4世はちょうどサヴォイ公と戦争中だった。翌年にはペルージュを獲得している。)

リヨンのサン・ジャン大聖堂とフルヴィエール教会の夜景

そんなこんなでリヨンのサン・ジャン大聖堂の話がいつの間にやらリヨンの歴史の話になっちゃったけど、そろそろ今日の夕食のこと。明日の夜はこの旅の最後を飾るディナーを予約してある。が、今夜は特に予定無し。というわけで、今日のディナーは中華料理にした。大した店でもなかったけど、その分だけ気軽だったかも。

フランス第2の都市リヨンのサン・ジャン大聖堂とフルヴィエール教会の夜景

ところで上の画像なんだけど、ディナーを食べた中華料理店の近くを流れていたソーヌ川のほとりから撮影したもの。画面中央やや右に見える大きな建物が、リヨンのサン・ジャン大聖堂だね。その左上の小さな建物は、フルヴィエールの丘の上にあるノートルダム・ド・フルヴィエール教会だ。



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