東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

パリに住んだ ・・・ つもりの 9日間 (フランス)

パリからロワール、ノルマンディー、シャルトルまで

05. シャンボール城 (ロワール川めぐり)

パリのアパルトマンで朝食

今朝は5時半に起床。ロンドンから持ってきたフィルター・コーヒーを飲み、昨日の午後にパリのスーパーで買っておいたフランス・パン、ハム、チーズ、トマトで朝食。この朝食が美味い。朝からワインが欲しくなるほど満足のいく食事だった。しかし、さすがにパリ。スーパーで買ったハムやチーズがこれほど美味いとはね。

が、今朝はちょいと忙しいんだ。朝食の余韻に浸っている時間は無い。とっとと身支度を整え、カメラなどを持ち、目薬をさして、アパルトマンの部屋を出る。悲鳴をあげる古い階段は、なるべくゆっくりと静かに下りる。

パリ発の日本語ツアー・バスでロワール川めぐり

今日はパリ発の現地発着一日バス・ツアーに参加して、ロワール川めぐりをすることになっている。もちろん、お目当てはロワール川の風景もさることながら、あちこちにあるお城だよね。日系の会社の日本語バス・ツアーだから、お城などの説明も気軽に聞くことができるはず。

7時15分にはパリ市内にある現地発着ツアー会社のオフィス前に集合。今日のツアーの参加者は24人だそうな。バスに乗り込み、500kmを走るツアーに出発だ。

9時前にはドライブ・インで停車。トイレ休憩だね。私たちは今までにあちこちで現地発着バス・ツアーに参加したけど、日系のバス・ツアーはトイレ休憩の間隔が短いのが有り難いね。欧米人向けのバス・ツアーの場合、トイレ休憩の時間的な間隔が長くて、日本人(特に女性)には辛かったりするみたい。

フランス西部を流れるロワール川の風景

9時40分にはロワール川(上の画像)の南岸に渡る。「ロワール渓谷」なんて言葉があるくらいだから、両側を山々に挟まれた川の姿を想像していた。でも、自分の眼で見るロワール川は、平坦な土地を流れるゆったりとした川だね。だからこそ、中世にはロワール川を船で行き来したんだろうけどね。

ちなみに、今でこそ静かなロワール川流域なんだけど、百年戦争の頃にはイギリスとフランスとの間で争奪戦が続いていたらしい。そんなロワール川流域からパリの北のセーヌ川にかけての地域の守りが、フランスの英雄ベルトラン・デュ・ゲクラン(イングランドの英雄 黒太子エドワードの好敵手)に任されていた時期もあったらしいよ。

シャンボール城に到着

ロワール川の南岸に渡ってからは、森の中の道を走り続ける。これから向かうシャンボール城は部屋数440室というロワール川流域で最大の城館らしいけど、その周囲には森が広がっているんだそうな。

このシャンボール城が築かれたのは16世紀の前半のこと。ハプスブルク家の皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)の宿敵だったフランス王フランソワ1世の狩猟の城館だったらしい。

フレンチ・ルネサンス様式のシャンボール城を設計したのはドメニコ・ダ・コルトナだった ・・・ と書いてあるものが多いけど、いやいやレオナルド・ダ・ヴィンチが設計したとする学者もいるらしい。15世紀末にイタリアのミラノで「最後の晩餐」を描いたダ・ヴィンチは、やがて招かれてフランスに来ていたんだ。

やがて10時、ようやくシャンボール城(下の画像)に到着。うちの奥さんが見たがっていた城にやって来た。

フランス西部を流れるロワール川近くのシャンボール城

ところが、私たちが参加しているこのツアーでは、シャンボール城は外から見るだけなんだって。奥さん、がっかり。まあ、一日で 500km も走り回るんだし、これからロワール川流域の城をいくつも見ていくんだから仕方ないかな。でも、後々のことなんだけど、シャンボール城のことを調べていて、この城は外からしか見ないというのも納得できちゃったんだ。

シャンボール城の歴史

上にも書いたように、シャンボール城はフランス王フランソワ1世の狩猟の為の城館として築かれた。その工事が始まったのは西暦1519年だったらしい。そして西暦1547年にフランソワ1世が心臓麻痺で亡くなった。ところが、その時点でもシャンボール城は完成してはいなかったんだそうな。しかも、当のフランソワ1世がシャンボール城に滞在したのは合わせて7週間ほどしかなかったらしい。

そもそもフランス北部の涼しい気候には、暖かい南のイタリア的なルネサンス様式の建物は不適当だった。冬にも暖房が効かなかった。しかも、シャンボール城の周囲には街も村も無かった。つまり、王や家臣たちの食料は、運び込んできたものか狩の獲物しかなかったらしい。そんなこんなでフランソワ1世がこの城で過ごした期間は短かったんだそうな。故にこのシャンボール城の内装や家具は無いも同然だったらしい。

更にフランソワ1世の死後、このシャンボール城は80年間も放置されていた。その後、ときおり修復したり、内装・家具にお金をかけた国王などもいた。でも、結局は放置され、荒れ果ててしまったんだ。

そして18世紀末にはフランス革命が起こった。革命政府はシャンボール城の家具・調度などを売り払うように命令した。シャンボール城の壁板なども取り外され、木材として売られちゃった。しかも、その売却の際、寒かったものだから城のドアなどを薪として燃やして暖をとったんだそうな。

そんなわけだから、シャンボール城の内装や家具・調度などは歴史的に古いものは少ないみたい。多くは近代の、それも第二次世界大戦以後の修復によるものみたいだね。つまり、そんなシャンボール城の内部を見るよりは、ロワール川流域にある他の城を見る方が意義深いんだろうね。

ついでながら、そんながらんどうだったシャンボール城の中が役立ったことがある。西暦1939年のことなんだけど、パリのルーブル美術館のお宝、つまりはモナリザとかミロのヴィーナスなどがここに運び込まれたらしい。戦火を逃れて疎開したわけだね。それもシャンボール城の中ががらんどうだったからのことだね。

でも、西暦1944年6月には、アメリカの爆撃機がシャンボール城の芝生に墜落したんだそうな。もしその飛行機がシャンボール城を直撃して、ルーブル美術館のお宝を全滅させていたら、今のルーブル美術館は無かったかもしれないね。

ロワール川流域のどかな風景

シャンボール城からバスに戻り、再びロワール川流域を走り始める。広がる牧場ののどかな風景にちょいと眠くなる。ヒツジを数えたわけじゃないんだけど、今朝は早起きだったからね。

フランス西部を流れるロワール川近くの牧場の風景

でも、今日のお楽しみはまだまだこれからだからね。ブロワ城やシュノンソー城も楽しみだ。次は外から見るだけなんて無いはずだ。


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