東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

パリに住んだ ・・・ つもりの 9日間 (フランス)

パリからロワール、ノルマンディー、シャルトルまで

08. シュノンソー城を歩く (ロワール川めぐり)

シュノンソー城のマルクの塔

フランス西部のロワール川流域にあるシュノンソー城のマルクの塔 プラタナスの並木を出て、左手にディアーヌの庭、右手にカトリーヌの庭を見ながら、シュノンソー城に向かって歩く。

やがて右手にマルクの塔(右の画像)が近づいてくる。この塔は13世紀に建てられた当初のシュノンソー城のわずかに残った遺構なんだそうな。

但し、16世紀初頭にトマ・ボイエ(というよりは奥方のカトリーヌ・ブリコネー)によって、このマルクの塔もルネサンス様式に改装されたらしい。

そんなこんなでフランス王の財務官トマ・ボイエと夫人カトリーヌ・ブリコネーが築いたシュノンソー城は、西暦1521年に完成したんだそうな。

ところが、フランス王フランソワ1世にお供してイタリアへ行ったトマ・ボイエは、西暦1524年にミラノで亡くなっちゃった。その後を追うように夫人も西暦1526年に亡くなったらしい。せっかく作り上げたシュノンソー城で楽しむ時間も無く、二人は亡くなってしまったわけだ。

しかも、このシュノンソー城はフランソワ1世に没収されちゃった。王はこのシュノンソー城を狩猟の為の城館として使ったらしい。たしかシャンボール城もフランソワ1世の狩猟の城館だったはずだけどね。

シュノンソー城にあるディアーヌの庭

マルクの塔を右手に見ながら進み、シュノンソー城の城館に入る手前で左に向けば、眺めることの出来る景色が下の画像なんだ。

フランス西部のロワール川流域にあるシュノンソー城のディアーヌの庭

上の画像にある庭園を造ったディアーヌ・ド・ポワチエは西暦1499年の生まれだった。対して、フランス王アンリ2世も王妃カトリーヌ・ド・メディチも西暦1519年の生まれだった。つまり、アンリ2世は20歳も年上の女性を愛妾としていたわけだ。

かなりの年上ではあったけれども、ディアーヌは日々の運動を欠かさず、しかも美人で若く見えていたらしい。加えて実家はフランスの由緒ある大貴族の家柄だった。というわけで、イタリアから嫁いで来た若いカトリーヌ・ド・メディチにとっては、ディアーヌには頭が上がらなかったらしい。

ところが、西暦1559年にフランス王アンリ2世が亡くなると、カトリーヌ・ド・メディチはディアーヌ・ド・ポワチエをシュノンソー城から追っている。形式的にはショーモン城との交換ということにしたらしいけどね。

シュノンソー城のギャラリー

そんなディアーヌ・ド・ポワチエが築かせた橋の上に、カトリーヌ・ド・メディチが建てさせたのが、下の画像にあるギャラリーだった。

フランス西部のロワール川流域にあるシュノンソー城の中のギャラリー

このギャラリーの工事が始まったのが西暦1576年、その翌年には彼女の息子でフランス王のアンリ3世の為の舞踏会がこのギャラリーのお披露目となった。

このフランス王アンリ3世は、カトリーヌ・ド・メディチの気に入りの息子だった。その二人の兄フランソワ2世(スコットランド女王メアリー・スチュアートの夫)とシャルル9世は既に亡くなっていた。もう一人の息子フランソワも西暦1584年に亡くなっている。

シュノンソー城の中のカトリーヌ・ド・メディチの寝室

下の画像は、シュノンソー城の中に残るカトリーヌ・ド・メディチの寝室の様子なんだ。自分が建てたギャラリーで気に入りの息子の為の舞踏会を開いた夜は、この寝室で機嫌よく眠ったんだろうね。

フランス西部のロワール川流域にあるシュノンソー城の中のルイーズ・ド・ロレーヌ・ヴォーデモンの寝室

余談ながら、上の画像の右端にちょこっと見えているのは、木に描かれたコレッジョの「キューピッドの教育」(あるいは「愛の教え」)の一部なんだ。そのキャンバスに描かれたものがイギリスの首都ロンドンナショナル・ギャラリーにあるらしい。

話を戻して、カトリーヌ・ド・メディチ。シュノンソー城のギャラリーでの舞踏会の11年後の西暦1589年1月、ヴァロワ家の王母カトリーヌ・ド・メディチが亡くなった。その8ヵ月後、フランス王アンリ3世が暗殺されてブルボン家のアンリ4世がフランス王として即位する。カトリーヌ・ド・メディチはヴァロワ家の断絶を見なかっただけ、まだ幸いだったのかな。

ついでながら、かつてカトリーヌ・ド・メディチは次男シャルル9世と一緒に予言者ノストラダムスに会っている。その際にノストラダムスは同行した少年(後のブルボン家の初代フランス王アンリ4世)がフランス王になると予言したとか、しなかったとか ・・・ 。

シュノンソー城の中のフランス王アンリ3世の王妃の寝室

フランス王アンリ3世が暗殺されて残されたのは、王妃のルイーズ・ド・ロレーヌ・ヴォーデモンだった。下の画像は、シュノンソー城の中にある王妃ルイーズの寝室の様子なんだ。

フランス西部のロワール川流域にあるシュノンソー城の中のカトリーヌ・ド・メディチの寝室

先に亡くなった義母のカトリーヌ・ド・メディチからこのシュノンソー城を相続していたルイーズは、アンリ3世の死後は修道女と共にこの城で過ごしたらしい。しかも、常に白い喪服を着ていたんだそうな。


次のページは
「09. シュノンソー城の水辺の姿 (ロワール川めぐり)」



ヨーロッパ三昧 トップ・ページ

ヨーロッパの歴史風景

このサイト「ヨーロッパ三昧」には、下の姉妹サイトもあります。ヨーロッパに興味のある方は寄り道してくださいね。

ヨーロッパの歴史風景 バナー このサイト「ヨーロッパ三昧」の姉妹サイト「ヨーロッパの歴史風景」。ヨーロッパ各国の歴史に重点を置いてある。



Copyright (c) 2000 - 2012 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。

このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。