東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

パリに住んだ ・・・ つもりの 9日間 (フランス)

パリからロワール、ノルマンディー、シャルトルまで

34. シャルトル大聖堂の外観

シャルトル大聖堂はフランスの最も美しいゴシック建築のひとつ

パリのモンパルナス駅から特急列車に乗ってシャルトル駅までは1時間足らず。そのシャルトル駅からは歩いて10分ほどで下の画像にあるシャルトル大聖堂に到着した。

フランスのシャルトル大聖堂の西側正面ファサード

フランスのゴシック建築の中でも最も美しいものの一つとされるシャルトル大聖堂。このシャルトル大聖堂の完成フランス王ルイ9世(聖ルイ王)の時代、西暦1260年のことだった。ちなみに、そのルイ9世(聖ルイ王)はパリのシテ島にサント・シャペルを完成させたフランス王だった。

上の画像のシャルトル大聖堂では、様式の異なる2本の塔が目立っているよね。まず右側(南側)に見えるのは、西暦1140年代に建てられたロマネスク様式の塔(高さ 105m)。次いで左側(北側)には、基部は別としても最終的には16世紀初頭に完成したゴシック様式の塔(高さ 113m)。

高くて立派な塔が2本もあるなんて、パリ郊外のサン・ドニ大聖堂がうらやましがりそうだよね。そのサン・ドニ大聖堂はゴシック様式の教会建築の先駆だったんだけど、このシャルトル大聖堂などにも影響を与えたらしい。

火災で立て直されたシャルトル大聖堂

このシャルトルには4世紀からキリスト教の教会があったらしい。でも、何度も火災に遭っている。西暦911年には、バイキング(ノルマン人)のロロが川を遡って襲って来てもいる。(その年にバイキングの指導者 ロロはノルマンディー公国を与えられた。イングランド征服王ウィリアム1世はその子孫の一人だね。)

その後も火災は何度も起こっている。西暦1020年の火災では街もシャルトル大聖堂も焼け落ちたらしい。その再建工事も西暦1030年の火災で中断されたんだそうな。そしてロマネスク様式のシャルトル大聖堂が完成した後の西暦1194年に再び火災が起きている。

フランスのシャルトル大聖堂の西側ファサード中央扉の上のティンパナムの栄光のキリストと4人の福音史家

その西暦1194年の火災でも残ったのは、西側の正面ファサードあたりだけだった。上の画像は、焼失しなかった西側正面ファサードの中央扉の上にあるティンパナム「栄光のキリストと4人の福音史家」なんだ。12世紀のものらしい。

ゴシック様式で再建されたシャルトル大聖堂

西側正面ファサードや塔を除いて火災で焼け落ちたシャルトル大聖堂は、ゴシック様式で再建されたんだそうな。

フランスのシャルトル大聖堂の東側後陣外観

それが例えば上の画像にある後陣の部分。ちなみに、上の画像の左端に一部だけが写っているのは、後陣の外側に設けられている聖ピア小聖堂なんだ。

ちなみに、アルザス地方の街ストラスブールにあるストラスブール大聖堂なんだけど、元々はロマネスク様式で建設が始まったらしい。でも、その途中でシャルトル大聖堂の人々がストラスブールを訪れた。彼らのアドバイスにより、ストラスブール大聖堂の工事も途中からゴシック様式に切り替えられたんだそうな。

シャルトル大聖堂のステンド・グラスとバラ窓

ゴシック様式で再建されたシャルトル大聖堂では、ゴシックにはお約束のステンド・グラス、それもバラ窓のステンド・グラスがいくつもあるんだ。

フランスのシャルトル大聖堂の南側外観

西暦1194年の火災にも焼け残った西側正面ファサードなんだけど、そこにも13世紀にバラ窓のステンド・グラスが設けられている。そして上の画像は南側のバラ窓を外側から見た様子。もちろん、シャルトル大聖堂の中に入って、この南側のバラ窓のステンド・グラスも見るつもりだよ。もちろん、有名なシャルトル・ブルーを見なきゃね。


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