東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「ニース・エズ・モナコ公国とロンドン」

25. モナコ大聖堂と大公妃グレース・ケリー

モナコ大聖堂

モナコ公国の岩の上にある大公宮殿から歩いて数分でモナコ大聖堂(下の画像)に到着する。

コート・ダジュールにあるモナコ公国の大聖堂の外観

このモナコ大聖堂は、西暦1884年に完成したロマネスク・ビザンティン様式の建物なんだそうな。同じ年に完成したフランス第2の都市リヨンノートルダム・ド・フルヴィエール教会もロマネスク・ビザンティン様式なんだけど、その当時の流行の様式だったのかな。

モナコ大司教区の大聖堂

そして下の画像はモナコ大聖堂の内部の様子なんだけど、その画像の中に見える白と赤の二色のシンプルな旗がモナコ公国の国旗だね。インドネシアの国旗と非常によく似ているんだけど。(ついでながら、下の画像に見える黄色と白の旗は、イタリアの首都ローマの一画にあるヴァティカン市国の国旗だね。)

コート・ダジュールにあるモナコ公国の大聖堂の内部

ちなみに、このモナコ公国は元々はフランス南部ニースの司教区に属していたんだ。でも、西暦1887年には独自のモナコ司教区とされている。おそらくは西暦1861年にフランスがモナコ公国の主権を承認したことと関係するんだろうね。モンテカルロのグラン・カジノを運営する会社の株主の中にモナコ司教や後にローマ教皇となった枢機卿がいたことは関係ないだろうとは思うけど ・・・。そしてモナコ司教区が大司教区とされたのが西暦1981年のことだった。

モナコ大聖堂と大公妃グレース・ケリー

西暦1956年にハリウッド女優グレース・ケリーがモナコ公国のレーニエ3世大公と結婚した際、まずは世俗的な結婚式を大公宮殿で行い、次いでこのモナコ大聖堂で宗教的な結婚式を挙行したんだそうな。そんな大公妃グレース・ケリーも西暦1982年に交通事故で亡くなってしまった。下の画像はモナコ大聖堂に眠る故大公妃の墓碑なんだ。

コート・ダジュールにあるモナコ公国の大聖堂にある故グレース・ケリー大公妃の墓碑

西暦2005年、故グレース・ケリー大公妃のご主人のモナコ大公レーニエ3世が亡くなった。そして、大公妃と同じく、このモナコ大聖堂に眠っているんだそうな。その年、モナコ大公に即位したのはお二人の息子さんのアルベール2世だった。

海辺から見上げた白亜のモナコ大聖堂

そして下の画像は海辺の散策路から見上げた白亜のモナコ大聖堂なんだ。ニースからモナコ公国に到着した翌朝の海辺の散歩の際の撮影なんだけどね。

コート・ダジュールにあるモナコ公国の大聖堂を海から見上げた

紀元前600年頃、フランス南部プロヴァンス地方の港町マルセイユに古代ギリシャ人が定住した。彼らは今のモナコ公国のあたりにヘラクレスの神殿を建てたんだそうな。そのヘラクレスの神殿は今は無いけれども、かつてはモナコ大聖堂のように海から見えていたのかもしれないね。

ちなみに、その古代ギリシャ人たちは今のモナコ公国のあたりをモノイコス(孤立した家)と呼んだ。その地名が変化して今のモナコになったとか。


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