グレネルグ・ブロッホスで見た古代ピクト人の石の砦 デューン幹線道路をはずれ、狭い山道を走り、グレネルグ・ブロッホスという場所にやってきた。ここにはデューン・テルベとデューン・トロッデンという二つのデューンがあるんだ。![]()
デューンとは、上の画像にある古代ピクト人の石の砦のこと。二千年ほど昔のものと考えられている。(ちなみに、アイルランドの西に浮かぶアラン島にも古代のデューン・エンガスがある。このハイランドのデューンに似た石の砦だったよ。) ピクト人と古代ローマ帝国の進出イタリアのローマから勢力を拡大してきた古代ローマ帝国は、紀元前55年にはカエサル(シーザー)がブリタニア(ブリテン島、イギリス)遠征を行っている。しかし、その際には一時的な遠征にとどまり、彼らはすぐにガリアに戻ったらしい。しかし、西暦43年に上陸した古代ローマ帝国の軍団はロンドンを建設し、ブリタニアの支配を目指していた。彼等の総督アグリコラはウェールズの反乱を鎮圧し、今のヨーク(当時はエボラクム)を経て更に北を目指した。そんな古代ローマ帝国の軍団の北上を阻んだのが、ブリタニアの北部に住んでいたピクト人だった。(下の画像は古代ピクト人による防衛的な石の砦 デューンあるいはブロッホス。) ![]()
しかし、古代ピクト人たちはただ守りを固めていただけじゃなかった。西暦367年には北のピクト人が南の古代ローマ帝国領に対して大攻勢をかけたこともあるらしい。この攻勢では、古代ローマ帝国が築いたハドリアヌスの長城(城壁)を越えて、今のイングランドにまで侵攻したんだそうな。 ピクト人とアングロ・サクソン人とゲール人(あるいはスコット人)やがて古代ローマ帝国は東西に分裂し、西ローマ帝国は西暦476年に滅亡した。でも、それに先立つ5世紀初頭には、西ローマ帝国の軍団はブリテン島から撤退していた。その後のブリテン島で勢力を伸ばそうとしていたのは、大陸から渡ってきたアングロ・サクソン人、アイルランドから渡ってきたケルト系のゲール人(あるいはスコット人)たちだった。![]()
ブリテン島北部に住むピクト人たちは、新たな侵略者たちに対しても守りを固めた。そして西暦685年には北に進出してきたアングロ・サクソン人を打ち破っている。それ以後、アングロ・サクソン人の北上の動きは止まったんだそうな。 ハイランドの海辺を眺めながらランチ![]() 山道を走り、海辺の道を走って、幹線道路に戻る。峠から素晴らしい入り江の風景を見ることが出来る。ここで昼食にしよう。 今日のランチは、右の画像にあるサンドイッチとリンゴとチップスと飲み物。予めスカイ島のホテルに頼んで用意してもらっておいたんだ。
さて、お昼を食べたら、また車に乗り込む。ここから更に南下して、目指すはグレンコーだ。
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