東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

スコットランドの旅(イギリス)

07. スカイ島-2.
ドントルン城とフローラ・マクドナルド記念碑

スカイ島のロッホ・ファダとロッホ・リーザン

スカイ島の中心となる町ポートリー。といっても、街の人口は二千人もいないらしい。そもそもスカイ島全体でも人口は一万人もいないらしいけど。

そのポートリーのホテルのレストランで朝食をすませる。今朝のおかずはニシンの燻製。昨日のカニと同様に、ニシンが美味い。ご飯と海苔と味噌汁があれば、更に言うことなしだったけど、ニシンの横にはトーストとバター。それでも美味いけどね。

スカイ島のロッホ(湖)・リーザンの風景(スコットランド、イギリス)

お腹も満足して、車でホテルを出発する。まずはロッホ・ファダとロッホ・リーザン(上の画像)の横を通り、北へと向かう。ちなみに、「ロッホ」とはスコットランドの言葉で「湖」のこと。例えばネス湖はロッホ・ネスだね。

スカイ島の岬の先端にあるドントルン城

スカイ島の街ポートリーから 26 マイル( 42 km )の岬の先端にあるのが、ドントルン城の廃墟(下の画像)。

スカイ島の岬の先端にあるドントルン城(スコットランド、イギリス)

このドントルン城の駐車場はずいぶんと小さくて、乗用車 5 台分の広さしかない。年間 4 万人の観光客が来る割には、小さな駐車場だよね。そこに車を停め、上の画像に見えるように寒くて猛烈な強風に吹き飛ばされそうになりながら、城跡に向かって歩く。

鉄器時代には、この岬に砦があったらしい。後にノルマン人も砦を築き、付近の海域の抑えとしていた。そして、15 世紀に築かれた城の遺跡が目の前にある。かつてスコットランド西部の島々と海辺に勢力を築いていたマクドナルド家の支族が城に住んでいたけど、西暦1730 年頃には打ち捨てられてしまったんだそうな。

大きなお城だったドントルン城の廃墟

スカイ島の西北の海辺にわずかに廃墟を残すだけのドントルン城(下の画像)なんだけど、かつては大きなお城だったんだそうな。

スカイ島のドントルン城の廃墟(スコットランド、イギリス)

今に残るのは城の基礎と壁の一部にすぎない。でも、17世紀の半ばに描かれたスケッチでは、5 層の主郭と付属する 2 棟の櫓、その周囲に城壁が描かれているらしいよ。今に残る城跡の様子からは想像することも難しいけど、かつては立派なお城だったんだね。

ドントルン城の幽霊たち

どうもイギリスには幽霊が多いような気がする。例えばイギリスの首都ロンドンならば、多くの人々が幽閉され処刑されたロンドン塔とか、あるいは有名なイングランド王ヘンリー8世ゆかりのハンプトン・コート宮殿だとかね。

そして実はこのスカイ島のドントルン城も幽霊の名所だったりする。なんせドントルン城も数々の争いの舞台だったりしたからね。そんな幽霊たちをちょいとご紹介しよう。

  • 叫びながら土を掘る男

    15世紀の半ば、ハイランドの島々や海辺を支配していたマクドナルド一族の長ジョンにヒュー・アレクサンダーという弟がいた。ヒューは兄を殺して一族の長となろうとしたんだ。が、陰謀は露見し、ヒューはこのドントルン城の土牢に押し込められた。

    土牢の中のヒューに与えられたのは塩漬け肉と水入れの壺だけ。その塩漬け肉を食べ終えたヒューは水入れの壺を手に取った。が、壺の中に水は無かったんだ。

    そして二週間後、土牢の扉が開かれた。ヒューの遺体の両手は血まみれだった。狂気に陥ったヒューは必死に穴を掘ろうとしていたらしい。今でもドントルン城の土牢の跡では、叫びながら土を掘るヒューの姿を見ることができると ・・・

  • 片目を失った奥方のすすり泣き

    16世紀のマクドナルド家の城主の奥方マーガレットは、事故によって片目を失ってしまった。その故に夫に遠ざけられた彼女は、やがて孤独な死を迎えたんだ。そしてドントルン城では今も奥方のすすり泣きを聞くことが出来ると ・・・

  • 戦いに敗れた領主が大騒ぎ

    西暦1539年、ハイランドをめぐるスコットランド王家との戦いに敗れたマクドナルド家の当主となったのはドナルド・ゴルムだった。彼は再び兵を率いてハイランドに攻め込み、海辺のアイリーン・ドナン城を攻めたんだ。しかし、その戦いの際の矢傷によって彼は命を落とした。このドントルン城の庭では、部下たちと一緒のドナルド・ゴルムの大騒ぎが聞こえると ・・・

  • 赤ん坊を死なせた乳母の悲鳴

    マクドナルド家の城主の息子を世話していた乳母がいた。その乳母が誤って赤ん坊を落としてしまい、赤ん坊は命を失ってしまった。今もドントルン城では赤ん坊を落とした乳母の悲鳴が聞こえると ・・・

ちょいと長かったかな。では、次に向かおう。

スカイ島にもフローラ・マクドナルド記念碑

スカイ島にあるフローラ・マクドナルド記念碑(スコットランド、イギリス) 幽霊でにぎわうドントルン城から南西に 2 マイル( 3 km )走る。その海辺にフローラ・マクドナルドの記念碑(右の画像)があるんだ。

インヴァネス城の前にも彼女の像があり、そしてこのスカイ島にも ・・・。

西暦1746 年のカロデンの戦いに敗れ、スコットランドの奥地ハイランドに逃れてきたのが、名誉革命でイギリス王位を失ったスチュアート家の王子ボニー・プリンス・チャーリーだった。

そんなプリンスの逃走を助けた女性が、フローラ・マクドナルドだった。彼女は女装したプリンスを助け、イギリス政府の追求を避けて、このスカイ島までやってきた。そして、このスカイ島からプリンスはフランスに逃れることが出来たんだ。

その後、フローラ・マクドナルドは反逆者としてイギリス政府によって捕えられ、イギリスの首都ロンドンを流れるテムズ川のほとりのロンドン塔に幽閉された。しかし、やがて釈放され、婚約者と結婚し、アメリカに移住したんだそうな。そんな彼女はやがて故郷ハイランドに戻り、1790年に亡くなったらしい。

スカイ島の港町ウィグで昼食

再び車に乗り、やがてウィグの町に到着。港の近くの大衆食堂に入る。店内の客たちは、興味深げに私たちの様子をうかがっている。今どきロンドンでは日本人など珍しくもない。が、さすがにスコットランドの奥地、ハイランドのはずれでは、いまだに日本人が珍しいみたい。

当初の予定では、ウィグの街の近くでポニー・トレッキングをするはずだった。しかし、あいにくの雨。しかも、寒さのせいか、家内の体調は良くない。旅はまだ序盤だ。ここは無理をせず、ホテルに戻ることにしよう。

ちなみにウィグ という港町の名前なんだけど、ヴァイキングの語源ともなっているヴィグ と同じく、北欧の言葉で入り江を意味するらしい。ノルマンの影響が色濃く残る地域だね。ちなみに、このスカイ島を含むハイランド西部の島々は元々はノルウェー領だった。そんなスカイ島などがスコットランド領となったのは西暦1266年のことだった。

ポートリーのホテルの前は漁港

スカイ島の中心となる街ポートリーのホテルに戻り、その周囲を散歩する。目の前の漁港では昨日の夕食に食べたエビが水揚げされている。片方の手が大きく、殻の硬いエビ。ゆでてレモンを搾って食べると美味いんだ。

ホテルのレストランでの夕食の後、ホテルのバーでスコッチを飲む。名前にひかれて飲んだのが、アイル・オブ・スカイというウィスキー。この 18 年ものが非常に美味い。ロンドンに買って帰ることにした。ちなみに、このウィスキーを造っているのはマクリード家。ハイランドの島々を舞台にマクドナルド家と争いを続けた一族だね。

ついでながら、このアイル・オブ・スカイというスコッチ・ウィスキーが美味くて、ロンドンでもあちこちで探してみたんだ。フォートナム・メイソンとかベリー・ブラザースとかね。でも、見つけることが出来なかった。スカイ島でもっと買っておけばよかったと後悔したよ。


次のページは 「08. スカイ島からスコットランド本土へ」



ヨーロッパ三昧 トップ・ページ

ヨーロッパの歴史風景

このサイト「ヨーロッパ三昧」には、下の姉妹サイトもあります。ヨーロッパに興味のある方は寄り道してくださいね。

ヨーロッパの歴史風景 バナー このサイト「ヨーロッパ三昧」の姉妹サイト「ヨーロッパの歴史風景」。ヨーロッパ各国の歴史に重点を置いてある。



Copyright (c) 2000-2012 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。

このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。