東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「イタリア北部の旅」

11. アカデミア美術館とミケランジェロのダヴィデ

フィレンツェ市内のホテルの引越しでトラブル

サン・マルコ美術館でフラ・アンジェリコなどの作品を見た後、ちょいとホテルに戻る。滞在していたホテルの予約が今日までしか取れず、今夜からは別のホテルを予約してあるから、引越しをしなきゃいけないんだ。同じフィレンツェ市内にあるホテルなんだけどね。とはいえ、荷物もあるし、タクシーに乗って次のホテルに向かった。

その途中でタクシーが日本人観光客を二度ほど轢きそうになり、心の中で悲鳴をあげた。タクシーの運転は乱暴だし、フィレンツェの道は狭くて複雑だからね。フィレンツェに限らないけど、観光地で歩く時には気をつけないとね。もちろん、ロマ(ジプシー)にも気をつけないとね。(ミラノでのジプシー襲撃事件の記憶はまだ薄れてはいない。)

間もなく次のホテルに到着。感じの良いフロント係が笑顔で迎えながら、私の予約はキャンセルされたと言う。お、さすがイタリア。来たね。彼が言うには、当方の旅行会社が必要な手続きをしなかったらしい。

「ほな、その旅行会社に文句を言わなあかんな。その旅行会社に今すぐに電話してくれ。」と私。ちなみに、その旅行会社は当時の私が住んでいたロンドンにある。もちろん、私は仕事上の旅行の手配も依頼していたその旅行会社を信頼している。

が、フロント係氏、電話をかけようとしない。書類のページをめくりながら彼が言うには、「たまたま運の良いことに、他にキャンセルが出て、部屋がある。」とのこと。要はオーバー・ブッキングをしていたんだろうね。ま、ともかく部屋に入ることが出来た。しかし、油断できないよね。

フィレンツェのアカデミア美術館

トラブルはあったけれども、ホテルの部屋でひと休み。でも、夕食までにはまだ時間がある。というわけで、再びフィレンツェ市内の観光に出かけた。やって来たのはアカデミア美術館。午前中に来た時には長蛇の列を見て諦めて退散したんだけど、今は10人ほどが並んでいるだけ。

これはチャンスだ。入ることにしよう。ちなみに、今もアカデミア美術館はフィレンツェでも人気のスポットみたい。出来れば旅の前に予約しておくのが賢明らしい。(西暦2014年12月時点では月曜日は休館みたい。)

フィレンツェのアカデミア美術館で見たミケランジェロのダヴィデ他(イタリア)

というわけで、幸いにも入ることの出来たアカデミア美術館の内部が上の画像。あの名高い芸術家の著名な作品も見えているよね。作品について詳しくは、後述するけど。

西暦1562年、フィレンツェにアカデミア美術学校が創設された。それを命じたのはトスカナ大公となったメディチ家のコシモ1世。初代校長はヴェッキオ橋に廊下を作ったヴァザーリだった。

そして西暦1784年、アカデミア美術学校の生徒たちの為にアカデミア美術館が創設された。といっても、メディチ家最後のトスカナ大公ジャン・ガストーネは既に亡くなっており、トスカナ大公位はハプスブルク家によって継承されていたんだけどね。

ミケランジェロの「パレストリーナのピエタ」と囚人

そんなアカデミア美術館で見た作品の一つが、下の画像にあるミケランジェロによる「パレストリーナのピエタ」。上の画像にもちょいとだけ見えているけどね。

フィレンツェのアカデミア美術館で見たミケランジェロのパレストリーナのピエタ(イタリア)

ミケランジェロのピエタといえば、ローマのサン・ピエトロ大聖堂にある作品が名高いよね。でも、ミラノスフォルツェスコ城には「ロンダニーニのピエタ」があるし、フィレンツェのドゥオモ(大聖堂)博物館には「未完のピエタ」がある。そしてこのアカデミア美術館には「パレストリーナのピエタ」があるというわけだ。

但し、このアカデミア美術館の「パレストリーナのピエタ」は本当にミケランジェロの作品なのか、疑いもあるらしいけどね。

フィレンツェのアカデミア美術館で見たミケランジェロの囚人(イタリア)

続いて、上の画像はミケランジェロによる「囚人」。彼は6体の「囚人」像を制作したらしい。そのうちの4体がフィレンツェのアカデミア美術館にある。その1体が上の画像というわけだ。ついでながら、このページの冒頭の画像の右端にみえているのも、ミケランジェロの「囚人」の1体だね。

アカデミア美術館で見たミケランジェロのダヴィデ

フィレンツェのアカデミア美術館で見たミケランジェロのダヴィデ(イタリア) ローマでピエタを制作した後、ミケランジェロはフィレンツェに戻ってきた。当時の街には市民たちの自治政府が成立していた。

15世紀末のフランス王シャルル8世の侵入の際にメディチ家は追放されたし、厳しい政治を行ったサヴォナローラも処刑されていたからね。

そんなフィレンツェの自治による自律性を象徴するものとして、市民たちがミケランジェロに制作を依頼したのが、このダヴィデ像だった。

そして西暦1504年、完成したダヴィデ像はフィレンツェの中心たるシニョーリア広場に置かれたわけだ。

でも、西暦1512年にはメディチ家がフィレンツェに復帰し、市民たちの自治は終わってしまった。

更には、風雨による損傷を避ける為に、西暦1873年にダヴィデ像はアカデミア美術館に移された。

西暦1910年からはシニョーリア広場にはダヴィデ像のレプリカが置かれはしたんだけどね。

そんんこんなでアカデミア美術館でミケランジェロのダヴィデ像を見ることが出来たわけだ。ダヴィデ像はミケランジェロの彫刻家としての名声を確立した作品だし、フィレンツェまで来てシニョーリア広場のレプリカしか見ることが出来ないなんて寂し過ぎるよね。

満足感を胸にフィレンツェの街を歩く。ポルセリーノ(子豚)と呼ばれるイノシシ像の鼻をなで、やがてレストランに到着。おお、日本人が多いぞ。店のスタッフも日本語で「カラスミ スパゲティ」なんて説明している。

さて、そろそろホテルに戻るか。レストランを出て歩き始めた。そろそろタクシーを ・・・ でも、車がつかまらない。今朝まで滞在していたホテルに入り、フロントでタクシーを呼んでもらった。ようやく今日から泊まるホテルに戻り、部屋の窓を開けて夜景を眺める。いきなりどしゃ降りの雨。うかうかしていたら、夜のフィレンツェでずぶ濡れになるところだったね。

ダヴィデ像も足腰に疲れが ・・・

西暦2014年5月に興味深いニュースがあった。アカデミア美術館に展示されているダヴィデ像なんだけど、足首の部分に亀裂が生じているんだそうな。この像は高さが 5メートル、重さが 5.5トンもあるんだけど、使われている大理石の質がさほどよくなかったらしい。しかもこの像は 500年以上も立ちっぱなし。そりゃ足腰に疲れも溜まるよね。


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