東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

エミリア・ロマーニャ と トスカナ (イタリア)
1999 年 6 月


14. 聖ヴィターレ教会 -1(ラヴェンナ)

ネオニアーノ洗礼堂から歩くこと約 500メートル。たいした距離ではない。だけど、冷たい雨は降り続いている。デコボコのある古い石畳の道には、たくさんの水溜りが出来ている。たっぷりと水の染み込んだ靴は、重くて冷たい。が、「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ」に観光を続ける私たちは、聖ヴィターレ教会に到着。

聖ヴィターレ教会 (あるいは、サン・ヴィターレ教会)

聖ヴィターレ教会外観 聖ヴィターレ教会は、東ゴート族の王テオドリックが亡くなったのと同じ西暦 526年に建てられた。

そして、東ゴート王国が滅びた後、西暦547年に大司教マクシミアヌスによってカトリックの教会として聖別されている。(先に書いたけど、マクシミアヌスは、大司教館付属博物館に保管されている象牙の司教座を贈られた人物。)

聖ヴィターレ教会内部 典型的な古代ローマのバシリカ様式によって建てられたサンタ・ポリナーレ・ヌオーヴォ教会と違って、東方の影響を強く受けているサン・ヴィターレ教会は変則的な八角形のクーポラを持つ建物。

その内部には、コンスタンティノープル(現トルコのイスタンブール)のアヤ・ソフィア聖堂にあったものと匹敵する多くのモザイク画が残されている。

東ローマ帝国・ビザンティン帝国のモザイク画

西暦537年、東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌスにより、コンスタンティノープルのアヤ・ソフィア聖堂が再建され、その内部は光り輝くモザイク画によって飾られた。

しかし、コンスタンティノープルは1453年にオスマン・トルコによって征服され、アヤ・ソフィア聖堂はイスラム教徒の為のモスクとして改装された。その際、多くのモザイク画は破壊され、あるいは漆喰の中に塗り込められてしまった。

現在では漆喰の中から姿を現しているモザイク画もあるが、私たちがアヤ・ソフィアで見ることが出来るのはほんの一部にすぎない。

しかし、このラヴェンナでは、東ローマ帝国・ビザンティン帝国の伝統を伝える多くのモザイク画を、古い教会の中で見ることが出来るわけだ。

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