東西南北 春夏秋冬
ヨーロッパの旅
エミリア・ロマーニャ と トスカナ (イタリア)
1999 年 6 月
サン・ジミニャーノ 略年表
BC 3世紀、この土地には
古代エトルリア人
が住んでいた。
AD 493年、
東ゴート族
の王
テオドリック
が
ラヴェンナ
に於いてオドアケルを下し、イタリア半島北部を掌握。アルプス以北-
ミラノ
-
ボローニャ
-
ローマ
を結ぶ「エミリア街道」は、イタリアの動脈としての機能を失った。
アルプス以北-
ミラノ
-
サン・ジミニャーノ
-
シエナ
-
ローマ
を結ぶ「フランス街道」が、失われたエミリア街道に変わる新しい動脈となった。その結果、街道の町
サン・ジミニャーノ
が成長した。
AD 1199年、
サン・ジミニャーノ
が自由都市となった。
13-14c、最盛期を迎えた。富を蓄えた商人たちは周辺の土地を購入し、貴族化した。彼らはステータス・シンボルとしての塔を築くことを競い合った。
右の画像は、サン・ジミニャーノのホテルのテラスから見たトスカナの田園風景。
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。
他方、ゲルフ(法王派)とギベリン(皇帝派)の争いが激化し、街の活力は削がれていった。
1348年、ペストに襲われ、街は衰退した。
1353年、
サン・ジミニャーノ
が
フィレンツェ
に従属することになった。
フィレンツェ
は、
サン・ジミニャーノ
を
シエナ
に対する前線基地として利用した。
1555年、
フィレンツェ
が
シエナ
を征服した。その結果、
フィレンツェ
にとっての前線基地としての
サン・ジミニャーノ
の意義が薄れてしまった。
その後、街は沈滞に陥り、その結果として新しい建物が築かれることは稀なこととなり、中世の塔が残ることとなった。
上の画像は現在のサン・ジミニャーノの様子。詳しくは
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旅の日程表
ボローニャ
|
ラヴェンナ
|
サン・マリノ
キャンティ
|
シエナ
|
サン・ジミニャーノ
|
フィレンツェ
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