東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「エミリア・ロマーニャとトスカナ(イタリア)」

シエナ略年表

  • 10世紀、シエナを取り囲む城壁が築かれた。当時のシエナでは商人貴族たちが実権を握っていた。

  • 990年、イングランド南部の街カンタベリーの大司教シゲリックがフランチジェーナ街道を歩いてローマに赴いた。その途中でシエナにも立ち寄っている。

  • 1129年、シエナとフィレンツェとの最初の戦いが起こった。

  • 1167年、シエナが司教による支配から独立した。

  • 1212年、フィレンツェと対立するシエナが、モンテリッジョーニの街を要塞化した。

  • 1230年、フィレンツェがシエナを占領。

  • 1240年、シエナ大学が設立された。

  • 1260年、シエナの西 5kmのモンタペルティに於いて、シエナ軍がフィレンツェ軍を撃ち破った。しかし、ギベリン(皇帝派)として戦ったシエナを教皇庁が破門した。その結果、シエナの銀行は教皇庁の銀行業務から遠ざけられた。

  • 1503年、マッジョーネの反乱を乗り切ったチェーザレ・ボルジアが、シエナを脅かした。しかし、チェーザレの父である教皇アレクサンデル6世が亡くなり、チェーザレ・ボルジア自身も病に倒れ、シエナは危機を脱した。

  • 1554年、フィレンツェ軍がシエナを攻撃。メディチ家と対立してフィレンツェから亡命していた名門ストロッツィ家などの人々もシエナ防衛の為に戦いに参加していた。

  • 1555年、傭兵隊長ジャン・ジャコモ指揮下のフィレンツェ軍がシエナを征服し、シエナはコシモ1世を当主とするメディチ家の支配下に入った。しかし、シエナの残党はモンタルチーノにたてこもり、更に戦いを続けた。

  • 1559年、シエナの残党の拠点であるモンタルチーノがフィレンツェ軍に攻略され、シエナとフィレンツェとの戦いが終結した。余談ながら、このモンタルチーノは、イタリアを代表する赤ワインであるブルネッロ・ディ・モンタルチーノの産地でもある。

  • 1860年、シエナを含むトスカナ公国が、サルディニア王国(翌年には統一イタリア王国となる)に併合された。


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