東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「カンパーニャとローマ・ヴァティカン」(イタリア)

第二部 パエストゥム・サレルノ編

B10. 円形劇場と集会場 (パエストゥム遺跡 -5.)

世界遺産パエストゥム遺跡で見た円形劇場

世界遺産パエストゥム遺跡のヘラ第一神殿(バシリカ)からパエストゥム国立考古学博物館の前にある出口に向かう途中でも、古代の遺跡をいくつも目にすることになる。

イタリア南部カンパーニャ地方にある世界遺産パエストゥム遺跡にある古代ローマ帝国時代の円形劇場

その一つが上の画像にある古代ローマ帝国時代の円形劇場。古代ローマの英雄シーザー(カエサル)古代ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの頃から1世紀ほどの間に建設されたものなんだそうな。(先に見たパエストゥム国立考古学博物館にはアウグストゥスのコインもあったね。)

但し、この円形劇場に関してはとっても残念なことがある。劇場の半分は上の画像の通り発掘されている。でも、残りの半分は道路と私有地の下に埋まっていて、発掘ができないらしい。というわけで、この円形劇場は今のところ半円にとどまっている。といっても、この世界遺産パエストゥム遺跡の全体についても、発掘されたのは3分の1にも満たないらしいけどね。

古代ギリシャ時代の集会場

紀元前273年にこのパエストゥムの街は古代ローマの支配下に入ったんだけど、それまではポセイドニアと呼ばれる古代ギリシャ人の街だった。その頃の遺跡が下の画像なんだ。

イタリア南部カンパーニャ地方にある世界遺産パエストゥム遺跡にある古代ギリシャ時代の集会場

古代ギリシャ時代のポセイドニアにおいては、上の画像にある集会場に全ての男性成人市民が集まり、様々なことについて討議したらしい。

見捨てられた古代都市パエストゥム

西暦476年に西ローマ帝国が滅亡したんだけど、その頃からパエストゥム付近では地盤沈下が起こり、湿地が広がり、マラリアの感染が増えていったらしい。しかも、ゴート族やロンバルド族などのゲルマン系の人々の侵入によって街は荒廃し、西暦 8-9世紀頃には見捨てられてしまった。(余談ながら、西暦2016年12月のニュースによれば、1世紀から4世紀にかけての古代ローマ帝国時代の墓地から発掘された遺体のDNA分析からは、熱帯熱原虫によるマラリア感染が確認されたとか。)

イタリア南部カンパーニャ地方にある世界遺産パエストゥム遺跡に残る古代ローマ帝国時代のフォロとその周辺の眺め

でも、そのおかげで古代都市パエストゥムの遺跡は破壊を免れ、世界遺産ともなり、私たちはとっても保存状態の良いいくつものギリシャ神殿などを見ることができるわけだね。

ポンペイ遺跡についても同様で、ヴェスヴィオ火山の噴火で埋もれたおかげで古代都市の様子を今に伝えてくれているんだよね。でも、発掘によって地表に姿を現した結果、今では急速に遺跡の劣化が進んでいるらしい。古代遺跡の発掘・保存・活用は難しいね。

パエストゥム駅から列車でサレルノに戻る

結局、世界遺産パエストゥム遺跡を歩き続けること、なんと 4時間。その間に大量の画像を撮影し、デジカメのメモリー・メディアを使いまくっている。おかげで、バテてはいるけれども、大満足だね。

イタリア南部カンパーニャ地方にある世界遺産パエストゥム遺跡からシレーナ門を出る

でも、そろそろ時間だ。上の画像にあるシレーナ門をくぐり、パエストゥム駅からイタリア国鉄の列車に乗ってサレルノに戻ろう。

ここでちょいと蛇足なんだけど、第二次世界大戦中の西暦1943年のことなんだけど、連合国軍がイタリア本土に上陸したんだ。その上陸地点がサレルノであり、またパエストゥムだった。上陸した連合国軍部隊は北上し、やがてナポリを攻略したんだそうな。


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