東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「カンパーニャとローマ・ヴァティカン」(イタリア)

第四部 ローマ・ヴァティカン編

D52. 古代ローマ帝国のコロッセオ(円形闘技場)

フォロ・ロマーノで見たコロッセオ(円形闘技場)

ヴェネツィア広場の横から歩き始めて、じっくりと見てきたフォロ・ロマーノ。その最後のハイライトは、古代ローマ帝国皇帝コンスタンティヌスの凱旋門のすぐ横にあるコロッセオ(円形闘技場)だね。

イタリアの首都ローマのフォロ・ロマーノにある古代ローマ帝国時代のコロッセオ(円形闘技場)

かつてキリスト教徒を迫害した皇帝ネロの宮殿の庭園跡にコロッセオ(円形闘技場)の建設が始まったのは、皇帝ウェスパシアヌス統治下の西暦75年頃のことらしい。その5年後には、ティトゥスの凱旋門を残した皇帝ティトゥスによって、このコロッセオ(円形闘技場)で大規模な剣闘士たちの戦いのイベントが開催されたそうな。

古代ローマ帝国の象徴ともいうべきコロッセオ(円形闘技場)

このローマのコロッセオ(円形闘技場)の直径は最大で 188メートルもあるらしい。収容人員は 5万人だそうな。この大きさ、建築技術、そして社会的な意味から言っても、このコロッセオ(円形闘技場)は古代ローマ帝国の象徴ともいうべきなのかもしれないね。

イタリアの首都ローマのフォロ・ロマーノにある古代ローマ帝国時代のコロッセオ(円形闘技場)の内部

古代ローマ帝国時代のコロッセオ(円形闘技場)は、フランス南部プロヴァンス地方アルル画家のゴッホが愛した街)やニーム水道橋ポン・デュ・ガールが水を供給した街)などにも残っている。でも、ローマのコロッセオ(円形闘技場)は別格だよね。

ローマのコロッセオ(円形闘技場)の床下

上の画像と下の画像(どちらも前回のローマ・ポンペイの旅の際に撮影したもの)は、ローマのコロッセオ(円形闘技場)の内部の様子なんだ。

イタリアの首都ローマのフォロ・ロマーノにある古代ローマ帝国時代のコロッセオ(円形闘技場)の内部

かつてローマのコロッセオ(円形闘技場)には床があった。今では上の画像のように床下の様子が丸見えになっているけどね。古代ローマ帝国に皇帝たちが君臨していた頃、上の画像に見える床下では、イベントに登場する猛獣や奴隷・剣闘士たちが出番を待っていたんだろうね。

ちなみに、ドイツの文豪ゲーテは西暦1787年にこのコロッセオあたりを歩いたらしい。その中には隠れ住む修道士や物乞いたちが住んでいたとか。

コロッセオ(円形闘技場)から次の目的地へ

今日はヴェネツィア広場を基点にフォロ・ロマーノを歩きまわり、古代ローマ帝国ゆかりの遺跡をじっくりと見た。(下の画像はヴェネツィア広場から続くフォーリ・インペリアーリ通りから眺めたコロッセオ。)

イタリアの首都ローマのフォロ・ロマーノにある古代ローマ帝国時代のコロッセオ(円形闘技場)遠望

西暦2013年8月のことなんだけど、このフォーリ・インペリアーリ通りは自家用車の通行が禁止されたらしい。排気ガスによる遺跡の劣化を防止し、観光客が心地良く歩けるようにする為に採られた措置なんだそうな。

ところが、その結果として自家用車は近くの商店街に流れ込んだ。そこでは渋滞が起こり、商店街の売上は落ちてしまった。商店街のおやじさん、おかみさんたちは抗議デモを始めたとか。古代遺跡の保全って難しいね。

ところで、私たちのことだけどまだまだローマを見て歩くつもり。というのも、今日が旅の最終日。悔いが残らないように、とことん見て歩きたいからね。次はボルゲーゼ公園。その中にイタリア・バロックを代表する芸術家ベルニーニの彫刻などを展示しているボルゲーゼ美術館や古代エトルリアの出土品などを展示しているヴィラ・ジューリア博物館があるんだ。


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