東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「カンパーニャとローマ・ヴァティカン」(イタリア)

第四部 ローマ・ヴァティカン編

D44. ローマのヴェネツィア広場からフォロ・ロマーノ

ローマのヴェネツィア広場からフォロ・ロマーノに向かおう

ヴァティカン近くのホテルのレストランで朝食を摂りながら、サン・ピエトロ大聖堂ミケランジェロクーポラ(円屋根)の眺めを楽しんだ。その後は部屋に戻って荷造りを済ませる。今日の夕方にはローマから日本に向かう飛行機に乗る予定だからね。

ホテルのチェック・アウトを済ませ、スーツ・ケースをフロントに預けて、ホテルの前からタクシーに乗り込む。そのタクシーを降りたのはヴェネツィア広場。目の前には、下の画像にあるヴェネツィア宮殿だ。

イタリアの首都ローマのヴェネツィア広場にあるヴェネツィア宮殿

でも、何故にこのローマにヴェネツィアの宮殿があるのか。この宮殿は15世紀半ばにヴェネツィア出身の枢機卿ピエトロ・バルボによって建てられた。やがて枢機卿ピエトロ・バルボはローマ教皇パウロ2世として即位。以後、この建物はローマ教皇の宮殿となった。でも、16世紀の半ばにローマ教皇庁はこの宮殿をヴェネツィアに譲渡した。それからこの宮殿はヴェネツィアの大使館になったそうな。

ところが、西暦1797年にヴェネツィアはナポレオンに屈服し、ナポレオンはヴェネツィアをオーストリアに与えた。その結果、このヴェネツィア宮殿もオーストリアに帰属することになった。このヴェネツィア宮殿がイタリアに返還されたのは、20世紀に入ったムッソリーニの時代だったとか。

今日の最初の目的地は古代ローマ帝国ゆかりのフォロ・ロマーノのはずだし、このヴェネツィア広場からフォロ・ロマーノへ向かうつもりだった。でも、いきなり話が脱線しちゃったね。というわけで、脱線ついでに更に横道に入り込むことにしよう。

ヴェネツィア広場にあるヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂

ヴェネツィア広場を見下ろしているのは、下の画像にあるヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂。西暦1885年に着工され、西暦1911年に完成した建物なんだそうな。

イタリアの首都ローマのヴェネツィア広場にあるヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂

このヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂なんだけど、ローマのちょいと背の高い建物に登れば、遠くからでも見ることができる。例えば、ローマ到着初日の夜のレストランからも見えたし、昨夜のディナーを楽しんだ高台にあるレストランからも見えていたね。但し、口の悪い人々によれば、巨大な入れ歯みたいとも言われているらしいけどね。

統一イタリア王国の初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世

では、こんな立派な記念堂を建ててもらったヴィットリオ・エマヌエーレ2世って何者なのか。(その記念堂の前に立つヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像が下の画像なんだ。)

イタリアの首都ローマのヴェネツィア広場に立つ統一イタリア王国の初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世騎馬像

西暦476年に西ローマ帝国が崩壊して後、イタリアは多くの小国に分裂していた。そんなイタリアはフランス王シャルル8世ルイ12世の侵入を受けたり、ハプスブルク家の皇帝カール5世神聖ローマ帝国軍に劫略されたり、フランス革命後にのし上がったナポレオンに蹂躙されたりしたんだ。

そんなイタリアに近代的な統一イタリア王国が成立したのが西暦1861年のこと。その初代国王がヴィットリオ・エマヌエーレ2世だった。実際に新しいイタリアを築いたのは、ガリバルディだったり、カヴールだったりしたみたいだけどね。

余談ながら、西暦1873年5月にローマを珍客が訪れた。日本の岩倉使節団だ。彼らは横浜港を出発の後、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツなどを巡り、このイタリアにもやって来たわけだ。彼らはヴィットリオ・エマヌエーレ2世にも拝謁したらしい。余談ながら、西暦1585年には日本の天正遣欧少年使節が教皇グレゴリウス13世に拝謁している。

古代ローマ帝国ゆかりのフォロ・ロマーノへの道

そろそろ横道から戻って、話を元に戻そう。ヴェネツィア広場から古代ローマ帝国ゆかりのフォロ・ロマーノに歩いて向かうんだけど、下の画像がその道、フォーリ・インペリアーリ通りなんだ。

イタリアの首都ローマのヴェネツィア広場から続くフォーリ・インペリアーリ通りと彼方のコロッセオ(円形闘技場)

上の画像の彼方に見えているのは、古代ローマ帝国の代表的な建築物コロッセオ(円形闘技場)なんだけど、「フォーリ・インペリアーリ」という言葉の意味は「皇帝たちのフォロ(公共広場)」なんだそうな。

フォーリ・インペリアーリには、カエサル(シーザー)のフォロ、アウグストゥス(オクタヴィアヌス)のフォロ、トラヤヌスのフォロなど、古代ローマ帝国の英雄・皇帝たちが築いたフォロ(公共広場)が広がっている。その中心を貫くのがフォーリ・インペリアーリ通り。つまり、ここから古代ローマ帝国の夢の跡、フォロ・ロマーノを歩こうというわけなんだ。

ちなみに、西暦1580年のことなんだけど、「エセー(随想録)」を著したフランスのモンテーニュがローマを旅行している。古典を研究していたモンテーニュのことだから、古代ローマの遺跡を見るために、このフォーリ・インペリアーリ通りを歩いたことだろうな。

というわけで、私たちも今からフォーリ・インペリアーリ通りを歩いて、古代ローマ帝国ゆかりのフォロ・ロマーノを見て回ろう。


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