ローマのヴェネツィア広場からフォロ・ロマーノに向かおうヴァティカン近くのホテルのレストランで朝食を摂りながら、サン・ピエトロ大聖堂のミケランジェロのクーポラ(円屋根)の眺めを楽しんだ。その後は部屋に戻って荷造りを済ませる。今日の夕方にはローマから日本に向かう飛行機に乗る予定だからね。ホテルのチェック・アウトを済ませ、スーツ・ケースをフロントに預けて、ホテルの前からタクシーに乗り込む。そのタクシーを降りたのはヴェネツィア広場。目の前には、下の画像にあるヴェネツィア宮殿だ。 ![]()
でも、何故にこのローマにヴェネツィアの宮殿があるのか。この宮殿は15世紀半ばにヴェネツィア出身の枢機卿ピエトロ・バルボによって建てられた。やがて枢機卿ピエトロ・バルボはローマ教皇パウロ2世として即位。以後、この建物はローマ教皇の宮殿となった。でも、16世紀の半ばにローマ教皇庁はこの宮殿をヴェネツィアに譲渡した。それからこの宮殿はヴェネツィアの大使館になったそうな。
ヴェネツィア広場にあるヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂ヴェネツィア広場を見下ろしているのは、下の画像にあるヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂。西暦1885年に着工され、西暦1911年に完成した建物なんだそうな。![]()
このヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂なんだけど、ローマのちょいと背の高い建物に登れば、遠くからでも見ることができる。例えば、ローマ到着初日の夜のレストランからも見えたし、昨夜のディナーを楽しんだ高台にあるレストランからも見えていたね。但し、口の悪い人々によれば、巨大な入れ歯みたいとも言われているらしいけどね。
統一イタリア王国の初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世では、こんな立派な記念堂を建ててもらったヴィットリオ・エマヌエーレ2世って何者なのか。(その記念堂の前に立つヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像が下の画像なんだ。)![]()
西暦476年に西ローマ帝国が崩壊して後、イタリアは多くの小国に分裂していた。そんなイタリアはフランス王シャルル8世やルイ12世の侵入を受けたり、ハプスブルク家の皇帝カール5世の神聖ローマ帝国軍に劫略されたり、フランス革命後にのし上がったナポレオンに蹂躙されたりしたんだ。
古代ローマ帝国ゆかりのフォロ・ロマーノへの道そろそろ横道から戻って、話を元に戻そう。ヴェネツィア広場から古代ローマ帝国ゆかりのフォロ・ロマーノに歩いて向かうんだけど、下の画像がその道、フォーリ・インペリアーリ通りなんだ。![]()
上の画像の彼方に見えているのは、古代ローマ帝国の代表的な建築物コロッセオ(円形闘技場)なんだけど、「フォーリ・インペリアーリ」という言葉の意味は「皇帝たちのフォロ(公共広場)」なんだそうな。
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