東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記「マルタ 聖ヨハネ騎士団の島」

18. ヴァレッタの勝利の女神教会(マルタ)

まずは腹ごしらえ

早朝からヴァレッタの街を走り、おかげで聖エルモ城砦の朝陽を見ることが出来た。のんびりと歩いてホテルに戻ったのが6時半。ちょいと部屋でひと休み。7時半からはホテルのレストランで朝食だ。既に早朝から汗をかいているけど、今日も頑張ってマルタ島を見てまわるつもりだし、しっかり食べておかないとね。(頑張る一日じゃなくても、いつもしっかりと食べているけどね。)

しかし、昨日の朝はホテルのレストランはがら空きだったけど、今朝は混んでいること。昨日のうちにツアー客が到着したみたい。今日は土曜日ということもあるんだろうね。ま、ツアー客に負けないように、私も観光に頑張りましょう。

ヴァレッタにある勝利の女神教会

ホテルを出て、まずやって来たのは、下の画像にある勝利の女神教会(あるいは勝利の聖母教会)。西暦1565年にマルタ島を攻囲(グレート・シージ)したオスマン・トルコ軍との戦いにおいて聖ヨハネ騎士団が勝利を得たことを記念するために建てられた教会なんだそうな。

ヴァレッタにある勝利の女神教会(マルタ共和国)

しかも、その勝利の翌年に聖ヨハネ騎士団によって建設が始められた要塞都市ヴァレッタにおいて最初の礎石が置かれたのも、この勝利の女神教会だった。

騎士団長ジャン・ド・ヴァレッテゆかりの勝利の女神教会

というわけで、この勝利の女神教会はマルタ島における聖ヨハネ騎士団にとってとっても重要な教会なんだけど、同時に名高い騎士団長ジャン・ド・ヴァレッテにとってもゆかりの深い教会でもある。(下の画像は勝利の女神教会の内部の様子。)

ヴァレッタにある勝利の女神教会(マルタ共和国)

勝利の女神教会の建設資金は、騎士団長ヴァレッテが個人的に支出したということもある。ここに建設の最初の礎石をおいたのも彼自身だったこともある。

更には西暦1568年に亡くなった騎士団長ヴァレッテが埋葬されたのも、この勝利の女神教会の地下墓地だったということもある。但し、彼のお墓は後に聖ヨハネ大聖堂に移されたんだけどね。

なお、念のために書いておくんだけど、勝利の女神教会はスリー・シティーズの一角のセングレアにもある。このページに書いたのは、ヴァレッタにある勝利の女神教会だからね。間違えないように。

リパブリック通りのカフェで休憩

さて、次の目標は聖エルモ城砦だ。今朝もそこで昇る朝陽を見たんだけど、その中にはまだ入っていないからね。

ヴァレッタのカフェで休憩(マルタ共和国)

というわけで、ヴァレッタのバス・ターミナルからシベラス半島の先端にある聖エルモ城砦を結ぶリパブリック通りを歩く。その途中で見かけたのが、上の画像にあるカフェ。ここでちょいと休憩にしよう。今日は早朝から朝陽を見るために走ったこともあり、早くも疲れてきたよ。

このカフェの脇のリパブリック通りなんだけど、ヴァレッタの街を背骨のように貫くだけではなく、街一番の目抜き通りでもある ・・・ らしい。といっても、目の前の通りに人影は少ないし、道の向こう側にたむろしている馬車たちも暇そうだけどね。土曜日ではあるけど、まだ朝早いからかな。


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