ガウディのグエル公園に到着バルセロナに来てガウディのバトリョ邸・ミラ邸、聖家族教会(サグラダ・ファミリア)と見たからには、グエル公園も歩いておきたいよね。というわけで、タクシーに乗り込み、バルセロナ近郊の丘の中腹にあるグエル公園の入り口(下の画像)にやって来たんだ。![]()
このグエル公園は、西暦1900年から20年近くをかけて造成された分譲住宅地だった。ところが、あまりに人気が無くて、売れたのは3戸だけ。しかも、そのうちの2戸を買ったのはグエル氏とガウディ自身だった。
バルセロナの大富豪グエル氏とガウディ西暦1878年、まだ20代半ばで建築学校を卒業して間もないガウディの下に注文が舞い込んだ。皮手袋の店がショー・ケースを作って欲しいと。ガウディの作ったショー・ケースはフランスの首都パリで開催された万博に出品された。そこでガウディのショー・ケースに目を留めたのが、バルセロナの大富豪グエル氏だった。間もなく、ガウディとグエル氏との交友が始まった。その後、レアル公園、ヴィセンス邸などを手がけたガウディが西暦1883年には聖家族教会の建築にも携わることとなった。他方で、西暦1884年にはガウディがグエル氏の別邸を建築。その2年後にはガウディがグエル邸を建築している。 その後、ガウディはテレシアノ学院、カルヴェット邸、グエル地下聖堂などを手がけている。そして西暦1900年、いよいよガウディがグエル氏の企画した分譲住宅地の造成に着手。それが今のグエル公園になるわけだ。(下の画像はグエル公園にあるトカゲの噴水。私は勝手に虹色トカゲと呼んでいるんだけどね。) ![]()
ちなみに、ガウディがバトリョ邸やミラ邸を手がけたのは、グエル公園の造成が始まって数年後のこと。この頃の彼は、グエル公園、バトリョ邸・ミラ邸、そして聖家族教会といくつものプロジェクトに携わっていたんだね。
次第に聖家族教会に専念し始めたガウディところが、やがてガウディは舞い込んでくる仕事を断るようになっていった。聖家族教会(サグラダ・ファミリア)の建築に専念し始めたんだそうな。例えば、西暦1908年にはニューヨークでのホテル建設の話がガウディに来たらしい。それがもし実現していたら、ニューヨークのガウディのホテルが世界遺産になっていたかもしれないのにね。その頃からのガウディは厳格なローマ・カトリックの信仰を深めていったらしい。聖家族教会(サグラダ・ファミリア)の建設において、彼はカトリックの典礼や秘蹟の全てを表現することを目指したんだそうな。(下の画像はグエル公園の回廊。森の木々の間を歩くイメージで作られたらしい。) ![]()
そんな仕事に邁進していたガウディは、身なりや服装にも気を使わなくなっていた。その結果、バルセロナ市内で路面電車に轢かれた際も浮浪者と誤解され、迅速な治療を施されず、亡くなってしまったとの説もある。
グエル公園のベンチでのんびりガウディのグエル公園を歩き回り、下の画像にあるカラフルなベンチに腰を下ろす。今日はクリスマス。真冬だというのにバルセロナは暖かいね。気温は20度はあるんじゃないかな。冬のロンドンとは大違いだな。![]()
グエル公園の中にはカフェもあった。そこでお茶を飲みながら景色を楽しみ、陽射しを浴びてのんびり過ごす。世界遺産ともなったガウディの偉大なる失敗作(ほとんど売れず、結局はグエル公園となった分譲住宅造成プロジェクト)に感謝だね。
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