東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅
バルセロナで冬の休暇
(スペイン 1995年12月)
カタルーニャとバルセロナ(スペイン)の略年表
01. イスラムの侵入まで
- 紀元前12-10世紀、フェニキア人がイベリア半島に進出していた。
- 紀元前9-7世紀、北から移り住んできたケルト系の人々が、先住のイベロ族と混血し、ケルト・イベロ族を形成した。
- 紀元前6世紀前半、ギリシャ人がカタルーニャ北部に植民都市エンポリオンを築いた。
- 紀元前3世紀、カルタゴの政治家・将軍であるハミルカル・バルカ(あのハンニバルの父)が、現在のバルセロナの地を征服し、植民都市を建設した。
新しい街は、「バルキーノ」(バルカ一族の街)と名づけられ、その名前が現在のバルセロナの語源となったとも言われている。
但し、伝説では、バルセロナを築いたのはヘラクレスだということになっている。
- 紀元前201年、第二次ポエニ戦争でカルタゴを打ち破った古代ローマがイベリア半島に進出した。ローマを中心とするイタリアから、古代ローマ帝国の兵士や市民達がイベリア半島にやって来た。
- 紀元前133年、イベリア半島の街ライエが古代ローマによって征服され、コロニア・ファヴェンテア・フリア・アウグスタ・パテルナ・バルシノと名づけられた。その街がやがて現在のバルセロナになる。
当時の市街地は、現在のモンジュイックの丘に有ったらしい。古代ローマ人は、その丘の上にジュピターの神殿を築いた。丘は「ジュピターの丘( Mont Jovis )」と呼ばれ、その名がやがて「モンジュイック」と変化したとの説がある。
紀元前後、古代ローマ皇帝アウグストゥス(右の画像)の時代に現在のバルセロナの旧市街ゴシック地区の開発が行われた。
- 西暦1-2世紀、古代ローマ帝国支配下のイベリア半島が黄金時代を謳歌した。イベリア半島では、鉱山が開発され、治水が行われ、道路が建設された。
- 西暦3-4世紀、古代ローマ帝国の街バルセロナの人口は約 5千人に達していた。
- 4世紀初頭、当時のバルセロナ(現在のゴシック地区を中心とする)を囲む城壁が完成した。
- 5世紀、イベリア半島をも領土とする西ゴート王国が成立した。
- 415年、短い期間ではあったが、バルセロナが西ゴート王国の首都となった。
- 711年、イスラム教徒がイベリア半島に侵入。以後、数年間でイスラム教徒はイベリア半島のほぼ全域を征服した。
- 713年頃、バルセロナを含むカタルーニャ地方が、イスラム教徒によって占領された。イスラム教徒は更に北上し、現在のフランスにまで侵入した。
- 732年、フランク王国の宮宰カール・マルテルが現在のポワティエ付近でイスラム教徒の部隊を撃破した。
- 759年、フランク王国の小ピピンによって、ピレネー山脈北麓のセプティマニア地方がイスラム教徒の手から奪還された。
- 800年、フランクの王カールが西ローマ帝国皇帝として即位した。
上の画像は、聖家族教会の塔の上から見たバルセロナ市街とモンジュイックの丘。
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