東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

旅行記 「春のスペイン」

トレド、マドリッド、セゴビアを周り、歴史とバルと闘牛を楽しんだ

09. マドリッドのレティロ公園とアルカラ門

マドリッドの中心にあるレティロ公園

スペインの首都マドリッドの中心にあり、観光客のみならず地元の人々にも人気の高い憩いの場所とされるのが、下の画像にあるレティロ公園なんだそうな。

スペインの首都マドリッドの中心にあるレティロ公園

そもそもは16世紀初頭、このあたりに移転してきたロス・ヘロニモス修道院の一角に、時のスペイン女王イサベル1世アメリカ大陸を発見したコロンブスの航海を支援した女王)が王家の人々の為の小さな隠遁所を建てさせたのが、このレティロ公園の始まりだった。「レティロ」という言葉の意味は隠遁所なんだそうな。

そのイサベル1世の曾孫のスペイン王フェリペ2世神聖ローマ帝国皇帝カール5世の息子)が西暦1561年に首都をマドリッドに移し、レティロ(隠遁所)を拡大し、道路を整備した。更にはフェリペ2世の孫のフェリペ4世の大臣オリヴァレス公爵が周囲の土地を王家に献上した。そこに王家の別荘などが建てられ、庭園も整備されて入ったんだそうな。

そして西暦1700年に即位してスペイン継承戦争の引き金を引いたブルボン家の初代スペイン王フェリペ5世(フランス王ルイ14世太陽王の孫にしてパリ郊外のヴェルサイユ宮殿で生まれた)は、このレティロにフランス風の花壇のある庭園を作らせたらしい。(フェリペ5世はスペイン南部アンダルシア地方古都グラナダにある世界遺産アルハンブラ宮殿の一部をイタリア風の部屋に改装しちゃったこともあるらしいけど ・・・ 。)

18世紀の後半には、スペイン王カルロス3世の命によって、レティロを取り囲んでいた壁が取り払われ、見栄えが良く開放感のある鉄格子に換えられている。その上で西暦1767年にレティロが一般の人々に公開されたんだそうな。

レティロ公園とスペインの革命と王政復古

そんなこんなで歴史ある王家の隠遁所が人々の憩いの場所になったのが、このマドリッドのレティロ公園だった。でも、一般の人々に公開されても、王家が所有する財産だった。ところが、西暦1868年にはスペイン九月革命が起こり、スペイン女王イサベル2世はフランスの首都パリに亡命を余儀なくされた。その革命によってレティロ公園の所有は王家から市に移されたんだそうな。

スペインの首都マドリッドの中心にあるレティロ公園の水辺とスペイン王アルフォンソ12世像

パリに逃れたイサベル2世は、西暦1870年に息子のアルフォンソ12世に王位を譲った。でも、アルフォンソ12世がスペインに帰国したのは西暦1874年のことだった。その年、スペインにおいて王政復古となったわけだ。上の画像に見える水辺の向こう側に立つ像は、そのスペイン王アルフォンソ12世のものなんだそうな。

ところが19世紀から20世紀にかけてのスペインの政治はとっても不安定だった。アルフォンソ12世の息子アルフォンソ13世は西暦1886年にスペイン王となったんだけど、西暦1931年には亡命を余儀なくされている。そのアルフォンソ13世は、西暦1941年にイタリアのローマで亡くなっている。

ちなみに、その頃のイタリアは既に第二次世界大戦に参戦していたんだけど、やがて連合国軍がイタリア本土上陸作戦を行い、やがてローマも攻略したんだ。でも、アルフォンソ13世はそんな混乱には巻き込まれずにすんだわけだね。その後、西暦1946年にはイタリアでは国民投票によって王政が廃止されている。亡命中のスペイン王家の人々にとって、そんなイタリアは居心地の良い場所ではなかったみたいだよ。

他方、その後のスペインは共和制となったもののやがて内戦に陥り、総統フランコによる独裁政治が続いた。ところが、その独裁者フランコ総統は亡命したアルフォンソ13世の孫のフアン・カルロス1世をスペインに呼び寄せた。そして西暦1975年に独裁者フランコ総統が亡くなり、その遺言によってフアン・カルロス1世がスペイン国王として即位した。というわけで、今のスペインは王政に戻っているわけだ。

レティロ公園の脇にあるアルカラ門

そんなこんなスペインの歴史を垣間見せてくれるレティロ広場の脇に立つのが、アルカラ門なんだけど、このアルカラ門も歴史のある建物なんだ。

スペインの首都マドリッドの中心にあるレティロ公園の脇にあるアルカラ門

元々この場所にあった古いアルカラ門は、西暦1599年に建てられたものだった。ハプスブルク家のスペイン王フェリペ2世の息子のフェリペ3世(モリスコを追放した人物)が王妃を迎えるために建てたものだった。

それから160年後の西暦1759年、ブルボン家のスペイン王カルロス3世がマドリッドに入る際にその古いアルカラ門を通過したらしい。ところが、カルロス3世は古い門が気に入らなかった。首都の入り口にはもっと立派な門が必要だと考えたカルロス3世は、その古いアルカラ門を取り壊しちゃったらしい。

カルロス3世は新しいアルカラ門のアイデアを色々と検討し、最終的に建設を始めたのが西暦1774年のこと。完成したのが西暦1778年だった。

マドリッドの治安について

というわけで、マドリッド市内にあるプラド美術館スペイン広場王宮コロン広場、レティロ公園などを見てきたんだけど、実はかなり気を使っていた。というのも、スペインの首都マドリッドの治安は必ずしも良いとは言い得ないから。

住み慣れているということもあるんだけど、イギリスの首都ロンドンの治安は私にとっては東京よりも良いとさえ思える。だけど、マドリッドはなかなか ・・・ 。スリやかっぱらいが多いのはともかく、徒党を組んでの強盗事件も多発しているんだそうな。

そんなマドリッドの中でも注意が必要なのが、このページに書いたレティロ公園なんだそうな。地元の人々も観光客も多くの人々が集まる場所だけに、いけずなお兄さんたちも集まって来るんだろうね。ジプシーらしき人々もあちこちで見かけたし。ちなみに、私はイタリアのミラノでジプシーに襲われたことがあるから、ちょいと神経質になっているかも ・・・ 。

いずれにせよ、気をつけて歩かなきゃね。バッグやポケットに注意するのももちろん大事なんだけど、そもそも余計なお金や貴重品を持ち歩かないことが肝心なんだろうな。


次のページは 「10. マドリッドで闘牛を見た -1.」



ヨーロッパ三昧 トップ・ページ

ヨーロッパの歴史風景

このサイト「ヨーロッパ三昧」には、下の姉妹サイトもあります。ヨーロッパに興味のある方は寄り道してくださいね。

ヨーロッパの歴史風景 バナー このサイト「ヨーロッパ三昧」の姉妹サイト「ヨーロッパの歴史風景」。ヨーロッパ各国の歴史に重点を置いてある。



Copyright (c) 2000 - 2012 Tadaaki Kikuyama
All rights reserved
このサイトの画像 及び 文章などの複写・転用はご遠慮ください。

このサイトの運営は、あちこち三昧株式会社が行います。