東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

冬景色のトルコ
(1997年12月 - 1998年1月)


28. トプカプ宮殿内部 (トルコ、イスタンブール)

トプカプ宮殿で見たマネキン人形(トルコ、イスタンブール) トプカプ宮殿の至福の門をくぐり、宮殿の内廷の更に奥に進めば、スルタンの妃たちや宦官の世界「ハーレム」がある。

「ハーレム」という言葉の起源は、アラビア語の「ハラム」(意味は「禁断の場」)なんだそうな。宮殿においては、大部分の人々にとっての「禁断の間」を意味するわけだ。

余談なんだけど、日本の宮廷においても「禁裏」なんて言葉があったよね。その意味するところは、「ハーレム」に似ていなくもないかな。日本史には全くウトイから、確信もないんだけどね。

関連書籍

参考になる・・・かもしれない本を探してみました。(本の題名をクリックすれば詳細が表示されます。)




トプカプ宮殿のハーレムの女性達

トプカプ宮殿のハーレムには、1,000人を越える女性達がいた時期もあったんだそうな。その中心となったのは、スルタンの正妻たち ... とは言えないんだ。

というのも、バヤズィット2世(在位 1481-1512)以後のスルタンの多くは、女奴隷ばかりを相手にして、正妻を持たなかった。かつてはビザンティン帝国の皇女など近隣の王侯家の女性達を正妻にしていたんだけどね。

何故に近隣のお姫様たちを正妻にしなくなったかと言えば、答えは簡単なんだ。近隣諸国を全て滅ぼしてしまったから。強すぎるのも困ったもんなんだね。

そんなわけで、バヤズィット2世以後の歴代のスルタンたちは、市場で見目麗しい女奴隷を購入することになったんだ。ちなみに女奴隷市場で人気があったのは、ロシアを中心とするコーカサス系の女性たちだったらしい。

ついでながら大帝と称されるスレイマン1世の寵妃も、ロシア出身の女奴隷ヒュッレムだった。スレイマン大帝の後継者セリム2世を産んだのも、彼女だった。

トプカプ宮殿の内部(トルコ、イスタンブール) そんな話もあるトプカプ宮殿の奥のハーレムなんだけど、印象的だったのは多くの青いタイル。

ブルー・モスクと同じく、全盛期オスマン・トルコを代表するイズニク窯で焼かれた青いタイルなんだろうね。

トプカプ宮殿の皇太子の間(トルコ、イスタンブール)

【参考】都市別ツアー


【参考】ホテル検索


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