東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

冬景色のトルコ
(1997年12月 - 1998年1月)


略年表 - 03.
ビザンティン帝国とコンスタンティノープル

  • 527年、ユスティニアヌス帝がビザンティン帝国の皇帝となった。(在位 - 565年)

    彼が生まれたのは482年。ローマ化したトラキア人の農民の子だったとも言われているが、法律学や神学を修めていた。518年に伯父のユスティヌスが皇帝となり、文字の読めない伯父に代わって、ユスティニアヌスが帝国の実権を握ったらしい。

    彼の統治下でビザンティン帝国は最盛期に達した。

  • 532年、コンスタンティノープルにおいてニカの反乱が起こり、アヤ・ソフィア大聖堂が崩壊した。

  • 533年、グルジアをめぐるササン朝ペルシャとの戦に勝ち、ペルシャとの間に講和条約が成立した。

    同じ年、ビザンティン帝国は将軍ベリサリウスをアフリカ北岸に派遣し、ヴァンダル王国を滅ぼした。

  • 537年、ビザンティン皇帝ユスティニアヌスがアヤ・ソフィア大聖堂を再建した。

    ユスティニアヌス帝によるアヤ・ソフィア大聖堂の再建(トルコ、イスタンブール)

    キリストにアヤ・ソフィア大聖堂を捧げるビザンティン皇帝ユスティニアヌス 右の画像は、聖母マリアに抱かれた幼いキリストにアヤ・ソフィア大聖堂(トルコ、イスタンブール)を捧げるユスティニアヌス帝。

    アヤ・ソフィア大聖堂に残るモザイク画の一部である。

  • 552年、ビザンティン帝国軍が、東ゴート族の支配下にあったイタリア古都ラヴェンナを奪回した。

  • 562年、再びコーカサス地方をめぐって戦ったビザンティン帝国とササン朝ペルシャとの間に和平が成立し、グルジアの西部はビザンティン帝国が、東部はササン朝ペルシャが支配下に収めた。

    その頃、中央アジアを支配していたのは、トルコ系ともいわれる突厥であった。

  • 613年、ビザンティン帝国軍がササン朝ペルシャ軍に敗れ、やがて帝国はシリアとエジプトを失った。

  • 622年、ビザンティン皇帝ヘラクレイオスはササン朝ペルシャ遠征に出発した。

    同じ年、イスラム教の創始者であるマホメットがメッカからメディナへ逃れていた。(ヘジラ)

  • 626年、ペルシャ遠征中の皇帝ヘラクレイオスの留守を突いて、ペルシャ軍とアヴァール軍がコンスタンティノープルを攻囲した。

    しかし、皇帝の留守を預かっていたコンスタンティノープル総主教セルギオスの活躍により、コンスタンティノープルは死守された。

  • 627年、遠征中の皇帝ヘラクレイオスが、ニネヴェの戦でササン朝ペルシャ軍を打ち破った。

  • 628年、ビザンティン帝国とササン朝ペルシャとの間に講和条約が成立し、ペルシャは全占領地から撤退することとなった。

【参考】都市別ツアー


【参考】ホテル検索





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