東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅
冬景色のトルコ
(1997年12月 - 1998年1月)
略年表 - 04.
ビザンティン帝国とアラブ人との戦い
- 634年、イスラム教化したアラブ人が、初めてビザンティン帝国領内に侵入。
- 636年、シリアにおけるヤルムーク河畔の戦において、ビザンティン帝国軍がイスラム軍に敗れた。
やがて、ササン朝ペルシャから奪回したばかりのシリアとエジプトがイスラム教徒によって奪い取られた。
- 655年、ビザンティン帝国艦隊が海戦においてアラブ人の艦隊に敗れた。
- 674-678年、イスラム教化したアラブ人によって、コンスタンティノープルが包囲された。
- 715-843年、ビザンティン帝国において偶像崇拝が厳しく禁止された。
聖像や聖画を守ろうとした人々の一部は、小アジア(アナトリア)のカッパドキアに隠れ住んだ。
- 717年、イスラム教徒の大艦隊がコンスタンティノープルを攻囲。
しかし、ビザンティン帝国と同盟していた第一次ブルガリア帝国軍が救援に訪れ、敗れたイスラム教徒軍は撤退を余儀なくされた。
その頃、中央アジアを支配していた突厥帝国が全盛期に達していた。
しかし、突厥帝国は8世紀後半ばに崩壊。
- 762年、突厥の後継者となったトルコ系のウィグルが、唐の都である洛陽を占領した。
- 840年、モンゴル高原を支配していたトルコ系のウィグルが、キルギス族の侵入により崩壊した。
- 743年、ウィグル族はトルキスタンに高昌国を建設。やがて、高昌国はアラル海まで勢力を広げ、既にイスラム教化していたイラン系の人々と接触した。
- 9世紀末から10世紀に欠けて、サーマーン朝イランはトルコ系の人々が暮らす地域に遠征を行い、トルコ人を奴隷としていた。
- 10世紀初頭、最初のトルコ系イスラム国家であるカラ・ハン朝が成立した。
- 961年、ビザンティン帝国は、イスラム教徒に占領されていたクレタ島を奪還した。
- 962年、サーマーン朝に仕えていたトルコ人奴隷アルプ・テギンは、アフガニスタンにおいてガズニ朝を建設した。
- 969年、ビザンティン帝国は、イスラム教徒に占領されていたアンティオキアを征服した。
- 971年、ビザンティン皇帝ヨハネス1世が軍を率いて北上。ブルガリアを占領していたキエフ・ロシア軍を破り、キエフ公スヴャトスラフを追ってドナウ川に至り、キエフ公に講和を強いた。
- 974年、ビザンティン皇帝ヨハネス2世がメソポタミアへ遠征した。
- 999年、トルコ系ガズニ朝の支配者マフムードは、同じくトルコ系のカラ・ハン朝と同盟して、サーマーン朝イランを滅ぼした。
やがて、マフムードはアミールの称号を獲得した。
- 1014年、ビザンティン皇帝バシレイオス2世がブルガリア軍を殲滅し、やがてブルガリアはビザンティン帝国の支配下に入った。
- 1025年、ビザンティン皇帝バシレイオス2世死去。彼の統治下に、ビザンティン帝国はユスティニアヌス帝時代以来の繁栄を示した。
同じ年、トルコ系ガズニ朝のアミールであるマフムードがインドのガンジス川まで進出した。
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