アヤ・ソフィア大聖堂の歴史(トルコ、イスタンブール)
- 西暦330年、古代ローマ皇帝コンスタンティヌスの命により、ローマ帝国の都がコンスタンティノープルに移された。(それでも現在のイタリアの首都ローマは「永遠の都」と呼ばれているけどね。)
皇帝コンスタンティヌスは、かつてギリシャの神殿が立っていた場所に、キリスト教の教会を建てることを命じた。
- 西暦360年、コンスタンティヌスの子コンスタンティウス帝(あるいはコンスタンツ2世)によって、アヤ・ソフィア大聖堂が建設された。
- 西暦404年、火災によってアヤ・ソフィアが焼失。テオドシウス2世によって再建された。
- 西暦532年、ニカの乱により、アヤ・ソフィアが崩壊した。
- 西暦537年12月27日、皇帝ユスティニアヌスによって現在に残るアヤ・ソフィア大聖堂が完成した。
ユスティニアヌスは、完成した大聖堂において、ソロモンを越えたと言った。つまり、完成したアヤ・ソフィア大聖堂は、旧約聖書に記されたソロモン王の神殿をしのぐというわけだ。
- 西暦715-843、ビザンティン帝国において偶像崇拝が禁止され、アヤ・ソフィア大聖堂においても多くの聖像が破壊された。
この時代、聖像・聖画を守ろうとした人々の一部は、小アジア(アナトリア)に逃れ、カッパドキアに隠れ住んだ。
- 1453年5月29日、メフメット2世の率いるオスマン・トルコ軍が、ビザンティン帝国の都コンスタンティノープルを攻略した。
市内に入ったメフメット2世はアヤ・ソフィア大聖堂でアラーの神に祈りを捧げ、以後アヤ・ソフィア大聖堂はイスラム教のモスクとなった。
- 1931年、アヤ・ソフィア大聖堂(当時はモスク)の壁の漆喰の中から、ビザンティン帝国時代のモザイク画が発見された。
- 1932年、オスマン・トルコ崩壊後に成立したトルコ共和国の初代大統領ケマル・アタテュルクの命により、アヤ・ソフィアはビザンツ・オスマン博物館とされた。
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