東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅
冬景色のトルコ
(1997年12月 - 1998年1月)
略年表 - 02.
新しいローマ 「コンスタンティノープル」
- AD313年、古代ローマ皇帝コンスタンティヌス帝のミラノ勅令により、ローマ帝国においてキリスト教が公認された。
- AD324年、宿敵リキニウスを破りローマ帝国全土に派遣を打ち立てたコンスタンティヌス帝が、ビザンティオンの改造計画の策定に着手。
- AD325年、ニケーアの公会議。三位一体説を説くアタナシウス派が正当とされ、それを否定するアリウス派が異端とされた。
以後、アリウス派はゲルマン諸族の間に布教を行っていく。後にラヴェンナを支配した東ゴート族もアリウス派を信仰しており、彼らはラヴェンナに多くのアリウス派の教会を建てた。
- AD326年、コンスタンティヌス帝の命により、ビザンティオンで新都市の建設が始まった。
- AD330年5月10日、古代ローマ皇帝コンスタンティヌスがローマ帝国の都をビザンティオンに移した。以後、新しい首都の正式名称は「ネオ・ローマ」とされた。しかし、人々は「コンスタンティノープル」と呼んだ。
- AD363年、ペルシャとの戦の最中に、皇帝ユリアヌスが死去。ここにコンスタンティヌスの男系が断絶した。
- AD378年、アドリアノープルの戦において、東ローマ帝国軍が西ゴート族軍に敗れ、東ローマ皇帝ヴァレンスが戦死。
- AD379年、テオドシウス大帝がローマ帝国東部で権力を掌握した。
- AD380年、ローマ帝国はキリスト教を国教とした。
- 395年、ローマ帝国が東西に分裂した。
- 4世紀末、小アジア(アナトリア)のカッパドキア地方からは、「カッパドキアの三つの星」とも称されるキリスト教神学者(カエサレア司教バシリウス、ニッサ司教グレゴリウス、ナチアンツのグレゴリウス)が現れた。
- 402年、ヴァンダル族とアラン族がドナウ川上流に侵入した。
- 5世紀初頭、アンティオキア司教ヨアンネスがコンスタンティノープルの総司教となり、コンスタンティノープルが神学の中心地のひとつとなった。
- 410年、西ゴート族がローマを劫略した。
- 412年、東ローマ皇帝テオドシウス2世がコンスタンティノープルの西に城壁を建設することを命じた。この城壁は413年に完成。
- 431年、コンスタンティノープル総司教ネストリウスは、エフェソスの公会議において有罪の宣告を受けた。以後、ネストリウス派は東方に信者を見出すことになった。
その公会議では、聖母マリアは聖ヨハネに付き添われ、小アジア(アナトリア)に赴き、エフェソス近くの山中で晩年を過ごしたことが確認されている。
- 443-445年、アッティラに率いられたフン族が、東ローマ帝国領に侵攻した。
フン族は、中国の漢に敗れて分裂した匈奴の一部、いわゆる西匈奴に関係があるとの説もある。
- 447年、アッティラの率いるフン族がコンスタンティノープルに接近している時、大地震によってテオドシウス(2世)の城壁が崩壊した。帝国は金をアッティラに送って懐柔する一方で、テオドシウスの城壁を修復し更に強化した。
- 455年、西ローマ皇帝ヴァレンティニアヌス3世がローマで暗殺され、テオドシウス大帝の男系が断絶した。
- 468年、ヴァンダル王国討滅作戦にあたった東ローマ帝国艦隊が敗北した。
- 474年、東ローマ帝国と結ばれた条約により、ヴァンダル王国が承認された。
- 475年、東ローマ帝国はテオドリック・ストラボンを指導者とする東ゴート族の集団をトラキア地方に定住させた。
このテオドリックは、ラヴェンナを中心としてイタリアに建国された東ゴート王国の支配者テオドリック大王とは別の人物である。
- 476年、西ローマ帝国が滅亡した。
- 526年、グルジアをめぐり、東ローマ帝国とササン朝ペルシャとの間に戦が始まった。
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