東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅
冬景色のトルコ
(1997年12月 - 1998年1月)
略年表 - 01.
コンスタンティノープル以前の
小アジア(アナトリア)とビザンティオン
- BC7000年、コンヤ近くのチャタルフユックに集落が営まれていた。チャタルフユック遺跡は、人類最古の集落遺跡だとの説もある。
- BC18世紀、インド=ヨーロッパ語族に属するヒッタイトが小アジア(アナトリア)に定住し、帝国を築いた。
右の画像は、トルコの首都アンカラにあるアナトリア考古学博物館で見たヒッタイトのレリーフ。
- BC16世紀初頭、ヒッタイトがバビロン第一王朝を滅ぼし、エジプトとの対立を深めた。
- BC14世紀、鉄製の武器を導入したヒッタイトが最盛期に達した。
- BC13世紀、古代エジプトのファラオ ラムセス2世とヒッタイトがカデシュで戦った。以後、古代エジプトとヒッタイトは協力関係を築いた。
- BC1190年頃、ヒッタイトが滅亡した。
- BC1000年紀、中国北部からバイカル湖にいたる地域に、いくつかの遊牧騎馬民族グループが暮らしていた。現在のトルコ人の祖先たちも、その中にいたと考えられている。
- BC658年、ビザス王に率いられたドーリア人がビザンティオンを建設した。
- BC6世紀、アケメネス朝ペルシャが小アジア(アナトリア)を征服した。
- BC492-449年、古代ギリシャとアケメネス朝ペルシャが戦った。ペルシャ戦争。
- BC334-324、アレクサンダー大王が東征を行った。
- BC3-2世紀、小アジア(アナトリア)にペルガモン王国が栄えた。
同じ頃、中国の北西では、匈奴が全盛期を迎えていた。トルコ人の祖先は、その中の有力な部族を構成していたと考えられる。
- BC2世紀、古代ローマが小アジア(アナトリア)に勢力を拡大した。
- AD284年、ディオクレティアヌスがローマ皇帝となった。彼は軍人皇帝時代に終止符を打ち、ローマ帝国に皇帝専制政治を打ちたてようとした。
他方、ディオクレティアヌス帝は、皇帝崇拝を拒むキリスト教徒に対して激しい迫害を行った。
- AD303年、アナトリア(小アジア)のニコメディアで聖ジョージ(セント・ジョージ)が処刑された。
- AD312年、コンスタンティヌスがイタリアの中心ローマに進軍し、ローマ帝国西部を支配下に置いた。
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