東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

冬景色のトルコ
(1997年12月 - 1998年1月)


34. 古代ローマ帝国とビザンティン帝国の名残り
(トルコ、イスタンブール)

エジプト・バザールを最後に、今回のトルコの旅も終わりを迎えた。2時半にはバスに乗り込み、一旦ホテルに戻る。トイレを済ませ、ロビーでアップル・ティーを飲みながら、ボスポラス海峡を眺める。3時半にはツアーの全員が集合し、空港へ向かった。

ヴァレンス水道橋(トルコ、イスタンブール)

ヴァレンス水道(トルコ、イスタンブール) 旧市街を通過するバスの中から見かけたのが、ヴァレンス水道橋(右の画像)。

古来よりコンスタンティノープル(イスタンブール)では、飲料水の確保が大問題だったんだ。だからこそ、「地下宮殿(地下貯水池)」や、このヴァレンス水道橋などが築かれたわけだ。




テオドシウス帝の城壁(トルコ、イスタンブール)

イスタンブールの旧市街、つまり、かつてのコンスタンティノープルの西の境界で見かけたのが、テオドシウス帝の城壁(下の画像)だ。

テオドシウスの城壁(トルコ、イスタンブール)

西暦410年、ゴート族によってローマが劫略された。現在のイタリア首都ローマを中心としていた西ローマ帝国が滅亡するまではまだ数十年あるにしても、当時のゲルマン系諸族による脅威は大帝国をも圧迫するものとなっていたわけだ。

その報せを受けて警戒を強めた皇帝テオドシウス2世は、コンスタンティノープルの西に城壁を築くことを命じた。その命に従って築かれたこの三重の城壁は、延長約5.6km。西暦412年に着工され、完成したのが413年だった。

結局は1453年にオスマン・トルコ軍によって攻略されたコンスタンティノープルだけど、第4次十字軍による攻略を除いて、それまで外敵の攻撃に耐えることができたのは、一つにはテオドシウス帝の城壁があったからだと言えるよね。

コンスタンティノープルに対する攻囲の歴史

  • 413年、テオドシウス帝の城壁が完成。

  • 447年、アッティラの率いるフン族が接近している時、大地震によって城壁が崩壊した。帝国は金をアッティラに送って懐柔する一方で、城壁を修復し更に強化した。

  • 626年、ペルシャ遠征中の皇帝ヘラクレイオスの留守を突いて、ペルシャ軍とアヴァール軍がコンスタンティノープルを攻囲した。

    しかし、皇帝の留守を預かっていたコンスタンティノープル総主教セルギオスの活躍により、コンスタンティノープルは死守された。

  • 西暦674-678年、イスラム教化したアラブ人によるコンスタンティノープル攻撃

  • 717年、イスラム教徒の大艦隊がコンスタンティノープルを攻囲。

    しかし、ビザンティン帝国と同盟していたブルガリア王国軍が救援に訪れ、敗れたイスラム教徒軍は撤退を余儀なくされた。

  • 西暦1204年、ヴェネツィアに導かれた第4次十字軍により、コンスタンティーノープルが攻略された。

  • 西暦1261年、ビザンティン勢力がコンスタンティノープルを奪還した。

  • 西暦1391年、オスマン・トルコのムラト1世によるコンスタンティノープル包囲。

  • 西暦1395年、オスマン・トルコのムラト1世によるコンスタンティノープル包囲。

  • 西暦1396-1397年、オスマン・トルコのムラト1世によるコンスタンティノープル包囲。

  • 西暦1400-1402年、オスマン・トルコのムラト1世によるコンスタンティノープル包囲。

  • 西暦1453年、オスマン・トルコのメフメット2世により、コンスタンティノープルが征服された。

    外敵による侵攻を心配する必要の無かったオスマン・トルコにとってテオドシウス帝の城壁の重要性は小さく、次第に城壁は荒れ果てていった。

関連書籍

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【参考】都市別ツアー


【参考】ホテル検索


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