東西南北 春夏秋冬 ヨーロッパの旅

パリに住んだ ・・・ つもりの 9日間 (フランス)

パリからロワール、ノルマンディー、シャルトルまで

42. モンマルトルの画家たち (パリ)

モンマルトルの丘で絵を描く画家

モンマルトルの丘といえば、画家が頭に浮かぶでしょ。今でもパリに来てモンマルトルの丘を歩けば、下の画像のように絵を描いている画家がいたりするんだ。

フランスの首都パリのモンマルトルの丘でキャンバスを広げている画家

モンマルトルの丘に画家たちが集まるようになったのは、フランス皇帝ナポレオン3世統治下の19世紀の半ばだったらしい。前のページにも書いたけど、かつてモンマルトルの丘にはブドウ畑が広がっていた。モンマルトルはフランスの首都パリに近い田舎だった。そんな田舎の絵になる田園風景を求めて、画家たちがモンマルトルに来たんだそうな。

モンマルトルの安アパートと貧乏画家たち

ブドウ畑のような絵になる田園風景があるだけじゃなかった。フランスの首都パリの外(今はパリ市内だけど、当時はパリの外だった)にあるモンマルトルには、都会のパリよりも家賃の安いアパートなどもあり、貧乏画家たちには暮らしやすい場所だったらしい。

フランスの首都パリのモンマルトルの丘でキャンバスを広げている画家

そんなわけでモンマルトルには数え切れないほどの画家、そしてその他の芸術家たちが集まったらしい。ダリ、モディリアーニ、ピカソ、ルノアール、ドガ ・・・ などなど。

でも、モンマルトルに来た画家たちのその後は色々だよね。例えば、クロード・モネはやがてノルマンディー地方にあるジヴェルニーにアトリエ(いわゆる「モネの家」)を買い、更に土地を買い増しして睡蓮の池を作り、200作近くの「睡蓮」を残している。

例えば、ゴッホフランス南部プロヴァンス地方の街アルルに向かった。明るいアルルを気に入ったゴッホはそこで多くの作品を描いたんだけど、やがて自分の耳を切り落とす事件を起こし、サン・レミ・ド・プロヴァンスの精神病院に入院し、パリを経てオーヴェール・シュール・オワーズに移り、そこで自殺してしまった。

モンマルトルの変貌

多くの画家や芸術家が集まったモンマルトル。でも、時代と共に変わっていくよね。20世紀に入ると、モンマルトルの丘は高級住宅地になったらしい。ブドウ畑も消えていき、絵になる田園風景は無くなり、アパートの家賃は高くなった。しかも、モンマルトルの丘には多くの観光客も来るようになったんだそうな。

フランスの首都パリのモンマルトルの丘で絵を売っている画商・・・かな

そんなわけで、画家や芸術家たちはモンマルトルから他の場所(例えばモンパルナスなど)へ移って行ったらしい。

ロシア出身のユダヤ人の画家マルク・シャガールニースにシャガール美術館がある)が初めてパリに来たのは西暦1910年のことだった。そのパリで5年間を過ごしたんだけど、シャガールもモンマルトルの丘で絵を描いたんだろうか。

では、今でもモンマルトルの丘で絵を描いている画家たちはいったい ・・・。今もモンマルトルに何を求めるかは画家それぞれなんだろうけど、少なくとも家賃は安くはないから、それだけ苦労も多いんだろうね。だから今日も観光客の似顔絵を描いているのかも ・・・。


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